ゴルフ界のレジェンド、アーノルド・パーマー(享年87)が9月25日に米ペンシルバニア州の病院で亡くなった。輝かしい実績を残した名選手であり、ゴルフを世界的な人気スポーツに押し上げた立て役者でもあった。
在米ゴルフジャーナリストの舩越園子氏がその偉大な功績をたたえる。
「パーマーは攻撃的なプレースタイルで世界中のファンを魅了しましたが、プレー以外の立ち居振る舞いも魅力的でした。“キング”として名をはせた全盛期も、観衆と気さくに会話をし、女性ファンの声援にはウインクで応え、ファンサービスに徹していたそうです。“アーニーズ・アーミー”と呼ばれる熱狂的なファン集団を生み出し、現在のゴルフ人気の礎を築いたのです」
その足跡を振り返ってみよう。パーマーは1929年9月10日生まれ。クラブプロだった父の影響でゴルフを始め、54年の全米アマゴルフを制すと翌年プロデビュー。58年にマスターズ初優勝を飾り、60年代には好敵手のジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレーヤーとともに「ビッグスリー」を形成した。
「父親から『いつでも力いっぱい打て』という教えを受けたパーマーは、その言葉どおり、果敢な攻めのゴルフで何度もドラマを生み出しました。60年の全米オープン、首位に7打差をつけられた最終ラウンドでパーマーは大逆転優勝を飾るのですが、1番のミドルホールをワンオンさせたドライバーは、伝説として語り継がれています。安全に“刻む”ことをしないプレースタイルはまさにテレビ向きだったかもしれません」(ゴルフ誌編集者)
黄金期を知るゴルフ漫画家の古川一朗氏が語る。
「パーマーの代名詞がインパクト後に左手を高く上げる“ハイフィニッシュ”。右腕の力が強すぎて、フックボールになるのを防ぐために編み出されたそうなのですが、その独特のスイングを、多くのゴルファーがまねたものです」
ビッグスリーは60年代に幾度もそろって来日。発展途上だった日本のゴルフ界に大きな衝撃を与えた。
「3人のマッチプレーを生で観戦したプロゴルファーの知人から、そのパワフルなスイングに圧倒されたと聞きました。パーマー同様、他の2人もグリーンの芝を削り取るように打つ、と。見た目はダフッていても、ボールにはしっかりとバックスピンがかけられていたことに驚いたそうです」(前出・古川氏)
ゴルフの魅力を世界に広めるとともに、実業家としても成功を収めたパーマー。晩年は小児医療施設を支援するなど、社会貢献にも尽力。93年に渡米した前出・舩越氏はじかに接し、その温かい人柄に感銘を受けたという。
「初めてお会いしたのは96年、パーマーがホスト役を務める大会『アーノルド・パーマー招待』の練習日。『写真を撮らせてください』とお願いしたら、笑顔でポーズを取ってくれました。当時60代後半でしたが、まるで俳優のように格好よかったのを覚えています。ゴルフ場の近くで道に迷った時に、たまたま通りかかったパーマーに『どうしたんだ?』と声をかけられて、助けてもらったこともありました」
現役選手たちにとっても、パーマーは偉大な道しるべとなった。
「『アーノルド・パーマー招待』では、大雨でコースの一部が冠水したことがあったのですが、パーマーみずから整備するために長靴を履いてジャブジャブと水たまりに入っていった後ろ姿が今でも忘れられません。表彰式では肩を叩いて勝者をたたえ、それと同じくらい敗者にも気遣いができる人で、『私だって、よく負けたもんさ』と声をかけていました。引退後も多くのゴルファーの見本であり続けました」(前出・舩越氏)
現役時代はパーマー・チャージと言われた攻撃的なゴルフでファンを熱狂させ、引退後は好々爺として周囲の誰からも愛された。
米ツアーでは歴代5位の通算62勝。マスターズの4勝を含め、メジャー大会では7度の栄冠に輝いた。パーマーが残した功績は、数字だけでは測れない。