80年代にも若者による陰惨きわまる事件が相次いだ。友人の家にたむろする不良少年グループによる凄惨な殺人。幼女への異常な執着を抑えきれずに次々と誘拐殺人を犯した宮崎勤。この2つの事件はいまも人々の記憶から消えない。
綾瀬コンクリート詰め殺人は、あまりのむごたらしさに、ディテールを知るほどに犯人の少年たちへの怒りを覚える事件だった。
〈傷性ショック死──司法解剖の結果、判明したJ子さんの死因である。左右の腕や太ももを中心に十数カ所に激しい内出血があったうえ、目、鼻、口など顔全体がはれあがっていた。そのあまりのむごさに、関係者はJ子さんの母親に対面させなかったほどである……〉(89年4月20日号)
犯行グループは7人。彼らは、通りすがりのJ子さんを拉致し、溜まり場であった一味の実家2階に監禁する。そこでのリンチは凄惨を極めた。
〈「ライターや刃物を使って脅され、わかっているだけでも7人の少年がそれぞれ暴行していたといいます。反抗したりすると、キックボクシング用のスタンドに縛りつけ、サンドバッグ代わりに殴る、蹴る。その際、ステレオのボリュームを目いっぱい上げていたため、J子さんの悲鳴は外にはもれなかったようです」(社会部記者)〉
こうした様子に、薄々気付きながら放置していた親たちにも世間から厳しい眼差しが向けられることになる。
さらに、犯人の中で懲役10年の判決を受けたKJは04年、逮捕監禁致傷を起こして逮捕されている。その際に、事件を起こしたことを自慢げに話していたという。
88年から89年にかけて埼玉・東京で幼女が連れ去られ行方不明になる事件が連続した。しかも、焼かれた遺骨が届けられるという異常な展開に首都圏は恐怖した。
幼女誘拐未遂で宮崎勤が捕まり、その性癖が明らかになる。
稀代の殺人鬼は自宅に5793本のロリコン・ビデオを所持していた。あげく幼女殺害後に遺体を凌辱した「残酷ビデオ」まで撮影していたのだ。
幼い少女の遺体を自室に持ち込み、切断し、ビデオ撮影までしていたというのだ。89年8月31日号では、戦慄すべき異常さをこう報じている。
〈「普通、バラバラ殺人は死体を小さく隠すためですが、宮崎は胴体を目立つ所に捨てている。どうも、猟奇的な動機からのようです。特に頭部には異常に執着を持っているようで、この点になると供述が急にあいまいになるんです」(警視庁詰め記者)
ちなみに、宮崎の自供によって発見された頭蓋骨は白くピカピカに光り、まるで理科教室の標本のようだったという……。〉
89年9月7日号はMちゃんの遺体を撮影したビデオに言及。
〈「これはMちゃんじゃないか!」
ブラウン管に映った幼女の遺体に警視庁・埼玉県警合同捜査本部の捜査員が声をあげた。と同時に、宮崎の部屋から押収した5793本のビデオテープを解析していた54人の刑事は顔をそむけたという。〉
彼の父親は事件後に自殺。宮崎は死刑判決を受け、08年に刑が執行されている。