関根氏が続けて回想する。
「彼女は今まで何事もなかったかのように陶酔し、抱かれ始めたんです。性欲の前ではしょせんこんなものかと、女性が醜く汚く見えた。この一件以降、『女にはほれるな。ほれさせろ。女を見たら銭と思え』と心に刻み込むことにしました」
ベランダの関根氏は11月の寒風の中、2階から手すりにすがり、道路に降りるが、着地に失敗。足首を捻挫する。しかも電柱の陰で洋服を着ている時に、警察官に職務質問までされる始末だった。
関根氏は思う。ホストクラブは職場だ。戦場だ。出会いの場ではない。そのための必要十分条件は大きさ、強さ、テクニックだ。いちいち本気で相手をしていては、体がもたない。相手を満足させ、自分も満足したフリをするのもテクニックの一つだ、と。人には「モテてうらやましい」と言われるが、モテているのではないのだ。
「ホストとは、数多い女性に遊ばれて捨てられての繰り返し」(関根氏)
ホスト4年で5000万円をため、73年に念願の独立を果たす。それが「夜の帝王」だった。関根氏の下で働いた経験を持つ、歌手で俳優の本郷直樹氏は、当時の関根氏をこう語る。
「あの人にとって、女性の風貌、美醜は関係ない。金になるかならないかだ。銭を見れば勃つんだから(笑)。尊敬するよ」
関根氏は自分の誕生日の申告を相手によって変えるため、年に5回も10回もあったバースデイパーティは店でやらず、物もねだらない。
「あなた1人に祝ってほしい」
その殺し文句が、高額な品物や現金で返ってくる。毎月の給料、チップやプレゼント。それが「4年で5000万円」だった。目標のためとはいえ、つらいことも多かった。
「ホストには、相手を選ぶ権利はない」
そう言い聞かせての「肉体奉仕」の成果だったのだ。
もちろん、いい思い出も多い。目が透き通るように美しい、お嬢様のような顔にFカップ巨乳。そんなアイドル歌手Mともつきあった。元横綱の妻で歌手だった女性は離婚後、背中一面に、鯉の上に金太郎が乗った、きれいな刺青を入れていた。関根氏は言う。
「カルーセル麻紀とは『オジキ』の芸能生活何十周年かの記念パーティで知り合ってね。彼女は当時、山口洋子の銀座の『姫』のママ代理をしていた。パーティのあと、その『姫』を回って店に来て、ドンペリを抜いたんです。今ではホストの店でドンペリは大流行だけど、当時、ホストクラブでドンペリをとった最初がカルーセル麻紀だった。彼女のマンションに行った回数は数えきれませんね」
28年続けた「夜の帝王」が閉店して10年以上がたつ。草創期には数軒だけだったホストクラブが、今や歌舞伎町で200軒以上を超えるまでになった。
笹川伸雄(ジャーナリスト)