依然として「バブル」が弾けない有吉弘行。1996年ごろには、「進め!電波少年」(日本テレビ系)のヒッチハイク企画で一躍有名人となったが、旬が過ぎると仕事はゼロに。およそ7年も無職同然だった。そのころに支えてくれたのは、事務所の先輩であるダチョウ倶楽部・上島竜兵だ。放送作家が、当時を振り返る。
「一時、心も病んでしまい、ひきこもりがちになった有吉さんを上島さんは、“竜兵会”の集まりという理由で外出させ、帰りにはタクシー代としてお手当てを渡したと聞いています。かわいい顔で人を気持ちよく飲ませるテクニックもあった有吉さんを、月給20万円でお抱え運転手兼弟子にしようとした時期もあったとか」
竜兵会は、ダチョウの上島と肥後克広を中心に、有吉、土田晃之、デンジャラス、劇団ひとり、カンニング竹山ら、当時は時間を持て余していた芸人で立ちあげ。上島は「太陽さま」という呼び名で親しまれた。
「伝説も多いですよ。上島さんが珍しく超マジメにお笑いについて語ろうとしたら、店のブレーカーが落ちたとか(笑)。しかも、2回連続で。バラエティ番組で披露するためのおもしろ画像を写メで撮ろうとした瞬間に、出会い系メールが届くとか。ボトルキープしている焼酎の中身を、有吉さんが水に変えて、水で水を割った謎のドリンクを出していたにもかかわらず、2時間後にはベロベロに酔っ払っていたとか。こんな話は枚挙にいとまがありません」(前出・放送作家)
いわば、有吉らにとって上島は一生の恩人。上島が老後、仕事がなくなっても、面倒を見ようと、30代のころから“上島貯金”を積み立てているという。そんな上島の誕生日は1月20日の大寒。1年でもっともサムい日が誕生日という宿命も、さすが。だが、後輩にとっては「太陽」のように温かい存在なのである。
(北村ともこ)