かつては“抱かれたくない男No.1”だったが、今では若者のゆるキャラ的存在。出川哲朗が絶好調だ。ダチョウ倶楽部・上島竜兵とともに、リアクション芸の道を開拓したのは、30年近くも前。53歳の今なお、その道を若手に譲るつもりはない。格言は、「鼻水はダイヤモンド」。なんともカッコいいではないか。お笑い芸人の取材をするフリーライターに話を聞いた。
「同期はウッチャンナンチャン。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に通っていたころ、内村光良さん、南原清隆さんらと『劇団SHA・LA・LA』を旗揚げました。80年代後半、ウンナンと特番に出て、罰ゲームでジェットコースターに乗せられた時に見せたリアクションがおもしろくて、ダウンタウンの松本人志がスカウトしました。そのおよそ8年後、ノンアポの過激バラエティ『進め!電波少年』(日本テレビ系)の旅人に抜てき。“迷作”が多数生まれました」
中でも一番インパクトがあったのはオーストラリア・シドニーでのロケ。ゲイバーでコンドームを無料で配るロケをすると、フルヌードに鎖だけを巻きつけたマッチョマンが現れ、もらったコンドームをその場で着けた。と、次の瞬間、店内の仲間に抑えつけられた出川を襲った。出川は「待って」の意味を込めて、「NO STOP!」と何度も叫んだ、ところがそれは、「やめないで!」の意味。ガチのゲイたちは、さらに発情したという。
「アメリカ・ロスでは、街角に立つ夜の女性を撲滅させるために街で声をかけて、自分のホテルで説教をするというロケをしました。2人目の時、白人女性がホテルから外部に電話をかけ、その数分後、部屋に屈強な黒人が押し入ってきて、出川さんは外に連れ出されています。およそ1時間後、ボロ雑巾のようになって戻ってきましたが、腰ヒモについていたカセットテープを聞き返すと、その白人女性は出川さんを警察だと思い、マフィアに密告していたことがわかりました」(前出・フリーライター)
“電波少年”から「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)へ大きくグレードアップした出川のロケ人生。これからも我々の想像をはるかに超える伝説を残してくれそうだ。
(北村ともこ)