主人公が2人で活躍する「バディムービー」は時代劇の世界にも多いが、女2人となると「旅がらすくれないお仙」(68~69年、NET系)が初。静の松山容子に対し、大信田礼子(68)が演じた「かみなりのお銀」は、動そのものだった。
これが私にとって初めてのテレビ主演作でした。実はこの前年、東京でモデルデビューしていたけど、芸能界にあまり興味が持てず、京都の実家が火事になったこともあり、戻ってブラブラしていたんです。
ある日、京都の撮影所を見学していたら、そこで「出ないか」と誘われたんです。その月給の額に母親が驚いて、すぐに決めなさいと。モデル時代が3万円だったのに、ここでは25万円と言われたんですよ。
撮影が始まって、最初からミニの着物に男物の海パン、そしてナマ脚というスタイルではなかったんですよ。普通に長い着物だったけど、カメラアングルが下のほうに下のほうに‥‥めくれた瞬間を待っているんですね。
「だったら最初から短くしましょう」
そしてあの衣装を私が提案したんです。羽二重のかつらも、他の女優さんがベンジン使ってはがすところを見ていたから、自分の髪をアップにしてやらせてくださいと言いました。
共演の松山容子さんはすでに大スターでしたので、こちらから声をかけるなんて怖くてできません。撮影には母が付き添っていて、私は母とともに、いつも「結髪さん」に金魚のフンみたくくっついていたんです。あの世界は結髪さんや衣装さんの女性がとにかく厳しく、シーンが終わるたびに「何かヘンなとこはありませんか?」と聞くようにしていました。
さて「かみなりのお銀」は、衣装が現代風だからアクションがやたら多かった。幸い、私は高校が器械体操部だったので、殺陣師の方と「この高さなら飛び降りれる?」と打ち合わせしながら、危険なシーンをこなしていましたね。
番組は日曜夜8時からですが、視聴率も好調だったらしく、スタッフの方に「お銀ちゃん、大河ドラマを抜いたぞ!」って教えられました。当初は1クールの予定が、ちょうど1年、4クールになったのには驚きました。
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続編の「緋剣流れ星お蘭」(69年)は、松山から花園ひろみに主演が交代したが、大信田は人気を反映し、「かみなりのお銀」のまま続投。
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お銀を2年やりましたけど、降板したのはドクターストップです。あのナマ脚の衣装は冬でも同じで、山などの寒いロケ地では肌の感覚が完全に麻痺してしまった‥‥。大八車が私の脚の甲を通過した時、実はヒビが入ったのもわからないくらいでしたから。
ただ、その後は「プレイガール」(東京12チャンネル系)などの現代ドラマ、映画でも「不良番長シリーズ」(東映)などがありましたが、結局はどれも「お銀」と同じような役だったかな。
本当にイメージが変わったとしたら、スカートもミニじゃなく、アイドルっぽい歌い方になった「同棲時代」(73年)がヒットした時。大ヒットはしましたが、あのイメチェンにある方は「終わったね、礼子ちゃん。いつも長い髪をクルクルさせといてくれないと」ですって。大人は残酷だなって思いました(笑)。