二所ノ関親方の回復を誰よりも祈っているのが、妻の高田みづえ(57)だろう。
「以前から、部屋の周辺で仲よくジョギングするなど、おしどり夫婦として知られていました。親方が倒れてからは、付きっきりで寄り添い続けています」(ワイドショースタッフ)
メディアの注目が高田に集まるのも、「元歌手」という肩書があるからだ。
高田は「硝子坂」でデビューした77年にNHK紅白歌合戦に出場し、人気は全国区に。若嶋津(当時)と婚約して引退を発表したのは85年で、当時まだ24歳だった。芸能レポーターの石川敏男氏が振り返る。
「何しろデビューから8年間で7回も紅白に出場していましたからね。結婚に反対する声は大きかったけど、高田の覚悟ある決断に周囲が折れた形です。披露宴はテレビで生中継され、松田聖子・神田正輝夫妻に次ぐ、2組目の“披露宴中継カップル”となりました」
87年7月に若嶋津が引退してからは、相撲部屋のおかみさんとしての仕事に専念する。
「弟子の教育に一生懸命で、とにかく礼儀作法には厳しいようです。また、糖尿病を患っていた親方の食事にも気を配るなど、まさに良妻賢母ですね」(二所ノ関部屋関係者)
メディアに登場する機会はなくなったが、歌を捨てたわけではなかった。後援者を招いたパーティーでは、往年のヒット曲で場を盛り上げた。
「リクエストされれば『硝子坂』を歌うことも。実は芸能界をやめる時に悩んだこともあって、結婚のために8年で引退したものの、本当は芸能活動を10年間は続ける予定だったそうです。そして一度は演歌を歌ってみたかった、とも。ちなみに大ヒットした『私はピアノ』はキーを合わせるのが難しいようで、一度も聴いたことがありません」(前出・部屋関係者)
15年には「第47回思い出のメロディー」(NHK)で、30年ぶりに歌番組への出演を果たす。復活のステージでは封印していた「私はピアノ」を観衆の前で歌い上げた。
「オファーが来てから相当練習したのか、現役の時と変わらない、透き通った歌声で観客を魅了しました。ブランクはまったく感じませんでした」(音楽関係者)
この衰えない美声に色めきたったのがレコード業界だ。
「昭和リバイバルブームによる歌謡曲人気や、今年は歌手デビューから40年の節目とあって、大手レコード会社の関係者から、“再デビュー”を持ちかけられていました。本人は相撲部屋の仕事も考慮して、『チャンスがあれば‥‥』と答えていたとか。もちろん、親方が倒れる前のことです」(前出・音楽関係者)
夫の予期せぬ入院で芸能界復帰は急転を余儀なくされたが、病状が回復した際には「再デビュー」のニュースを聞きたいものである。