今や、ものまね四天王の重鎮として君臨する清水アキラがものまねデビューを果たしたのは、大学2年生の時だった。
「大学時代にTBSの『ぎんざNOW!』という番組の“素人コメディアン道場”というコーナーに出場したのが最初。そのチャンピオンたちが集まって結成されたのが『ザ・ハンダース』なんだ」「ザ・ハンダース」は、桜金造やアパッチけん(現・中本賢)たち6人で結成されたコメディ集団。78年にリリースした「ハンダースの想い出の渚」は、当時レコード売り上げ30万枚を超す大ヒットとなり、有線放送新人賞まで獲得した。
「新人賞候補にサザンオールスターズもいたんだけど、サザンが落ちてハンダースが入っちゃったんだよ。そこから急に忙しくなってね。歌番組やデパートの屋上でショーをやる毎日。でも、だんだんむなしくなってきてね。『俺がやりたいのはこんなことじゃない、やっぱりものまねなんだ!』って気づいて、(ハンダースを)解散したんだ」
原点回帰を決断し、ものまね芸に邁進するものの、ピンになった清水の収入は激減。しかもこの年に結婚した奥さんのおなかには長男がいた。清水が振り返る。
「売れてない頃のコロッケと地方のスナックを回ったり、女房がスナックで働いてくれた時期もあったな」
悪いことはさらに続く。81年に清水はルーレット賭博で逮捕されるというトラブルに見舞われる(その後、不起訴処分で釈放)。実際は友人と仲間内で開いていただけだったが、有名人である清水にこの一件は重くのしかかった。
「このせいで、テレビのレギュラー3本が全てなくなり、決まっていた10本の学園祭も全部キャンセル。ほとんど無収入になっちゃってね」
かつてスキーの国体選手だったこともある清水は、プロスキーヤーとして生計を立てることも考えた。
しかし清水は、あくまで“ものまね”にこだわった。度重なる負のスパイラルを断ち切るべく、意を決して個人事務所「アキラオフィス」を立ち上げた。ところが‥‥。
「カセットデッキを持って、地方のスナックを多い時には一日6軒回ってね。当時は営業一件当たり取り分が5万円だった。いろんなことがあったよ。『誰のシマで断りなくやっているんだ』って怖い人に脅されたり。斡旋業者に70万持ち逃げされたこともあったな。あの時は、さすがに途方に暮れたよね。そんなトラブル続きで『アキラオフィス』はパンクしちゃったんだ」
清水がものまねタレントでブレイクするのは、このあとのことである。