バブルの足音が聞こえた84年、実に40億円もの予算を組んで売り出されたのが「セイントフォー」だ。4人のメンバーのうち、リードボーカルを務めた濱田のり子(52)と鈴木幸恵(51)が特別対談。
濱田 イメージカラーはピンク、技は後方宙返り、ドラマティック・ノリコです。
鈴木 イメージカラーは青、技はピルエット、エキサイティング・ユキエよ。
──おお、懐かしのフレーズ。ちなみに「ピルエット」って何ですか?
鈴木 バレエ用語で片脚を軸にして、コマのように3回転ほど回ることですね。
──メンバー全員がアクロバティックな動きをしていた印象があります。初代リーダーの岩間沙織(53)は「側宙」をこなしていましたし。
鈴木 沙織は“宇宙人”だから(笑)。
濱田 私も体育は「2」だったのに、レオタードを着て、ひたすら後方宙返りの練習をして。膝に水がたまるなどケガだらけだったけど、やれば誰だってできるようになるんですよ。
──いやいや、やはりデビューへの執念です。さて、デビュー時に話題になったのは、今で言うメディアミックスの先駆けで、主演映画の制作費など合わせて40億円の巨大な予算。
濱田 え~ッ、あの当時に40億って!
鈴木 私たちは敷かれたレールの上を走っていただけなので、実感は湧かなかったですけど。
濱田 そもそもデビューまでに2年もかかっているんですよ。もともと幸恵と沙織は決まっていて、別に“幻のメンバー”が2人いたんです。
──それは初耳!
鈴木 私、その2人とは今でも仲いいですよ(笑)。
濱田 私と板谷祐三子(49)は、3万人が応募した「あなたもスターに!」のオーディションで選ばれ、その2人と交代する形になりました。
鈴木 それからプロジェクトがどんどん大きくなって、それが40億円になったということですね。
──その先兵となったのが、主演映画「ザ・オーディション」(84年、東宝東和)の公開。芸能界の闇と、新人グループのデビューから挫折と再起までを描いたリアルな異色作。
濱田 今でも覚えているんですけど、渋谷の109近くの劇場で公開したんですよ。そしたらサクセスストーリーの内容にファンの人たちが純粋に感動して、ものすごい勢いで押しかけてきたんです。一夜にして世界が変わりました。
──まさしくデビュー曲と同じ「不思議Tokyoシンデレラ」の感覚!
濱田 そう! そうなんです。シンデレラストーリー。
──そういえば同じ84年、「少女隊」も30億円をかけてデビューし、競う形に。
濱田 私たちのコンセプトは一貫していて、それでデビューに2年をかけた。ところが、急に同じレールに少女隊が入ってきた‥‥。しかも、彼女たちはデビュー後にファッション寄りのコンセプトがすぐに変わったじゃないですか。
──1年後には、ごく普通のアイドル路線に変更しました。
鈴木 そういえば私、藍田美豊ちゃんと今度会う約束している。
濱田 美豊ちゃんも実は私たちと同じオーディションを受けていたのよね。
──おっと、セイントフォーの一員だったかもしれない幻の歴史が! ただ正直なところ、セイントフォーも少女隊も、投資金額ほどには大きな成果は上げられなかった。特にセイントフォーは、所属事務所とレコード会社が契約上のトラブルとなり、わずか2年2カ月で解散。
鈴木 プロデューサーの方から「こういうことになったよ」と伝えられて。
濱田 私たちメンバーの間でも、ギクシャクした感じはありましたね。
──それでも、13年3月には板谷祐三子を除く3人が集結し、26年ぶりにライブを開催。当時のファンも大喜びだったと思います。
濱田 いわゆる親衛隊ですね。私たちは「コール隊」って呼ぶんですけど、当時とまったく同じかけ方に、私の友達とか感動しちゃって。
鈴木 コール隊のファンができてたよね(笑)。
濱田 1人欠けてはいたけど、それでも26年後に連絡を取り合って、ライブができたというのは奇跡!
鈴木 コール隊の人たちで、もともとは不良だったのが私たちを応援することで更生できた、と親御さんに感謝されました。私たちでもお役に立てたことがあったんだなって。
──次回のライブは歌だけでなく、後方宙返りの復活もお願いします!