キャンディーズ、ピンク・レディーなど、昭和の芸能史に華やかな色を添えた「アイドルグループ」という存在。中でも85年に登場した「おニャン子クラブ」は、毎週のようにメンバーのデビューシングルがチャート1位を争った。会員番号13番の内海和子が当時を振り返る。
「86年11月に『蒼いメモリーズ』でソロデビューできました。オリコン3位に入ったんですけど、ソロデビューした子たちは1位が多かったから、ちょっと残念で。何よりも悔しかったのは、あんなに歌がヘタな立見里歌がメインだったニャンギラスの『私は里歌ちゃん』でさえ1位を取っているのにと(笑)」
よき仲間であり、よきライバルであったようだ。84年にデビューしたアクロバティックな4人組「セイントフォー」の2代目リーダーだった鈴木幸恵は、今では2児の母に。
「娘たちは再結成ライブにも足を運んでくれたし、YouTubeで当時の映像も見ています。当時の衣装を『お母さん、レオタードがダサ~い』って言ってくるんですよ」
深夜アニメとのタイアップでデビューした「レモンエンジェル」の櫻井智は、その後も声優として人気を得ている。当時は、驚きの異名も持っていた。何と、下のアンダーウエアが“チラッと見えする”という意味の言葉と「アイドル」を続けて一つの呼び名にされていたというのだ。
「やたらと短いスカートだとか、長めのシャツでスカートすらもないとか、それでデパート屋上などのステージをこなしていました」
8月3日発売の「週刊アサヒ芸能」8月12・19日合併号では、ほかにも70年代から80年代を飾ったアイドルグループの情報がぎっしりと詰まっている。