今でこそ“アイドル冬の時代”と呼ばれる80年代後半~90年代前半。だがしかし、当のアイドルたちにそんな実感はない。元「ribbon」の松野有里巳(44)が、熱狂の日々を振り返る。
高校2年生の時でした。バイト代で通えるダンススタジオを探している時、「フジテレビで、歌とダンスの3カ月無料レッスン」という募集要項を見つけ、“タダ”につられてフジテレビに行くと、その日のうちに1次~9次審査。
3000人からしぼられた10人に告げられた言葉は、「来週から始まる生放送番組に出てもらいます」でした。
アイドルになりたくて受けたわけじゃないのに、突然、生活が一変しましたね。「パラダイスGoGo!!」(89~90年、フジ系)に出演することになった私たちには「乙女塾」という名がつきました。3カ月に1度行われるオーディションで次期生とのシビアな入れ替えがあった中、なんとか残った私は89年、永作博美さん(47)、佐藤愛子さん(44)とともに「ribbon」としてデビューしたのです。
アイドルらしいエピソードですが、当時フジテレビがあった曙橋駅前にはいつも親衛隊の方が待っていて、局までボディガードがつく。家の前では、隠し撮りを狙うカメラ小僧と、私を守りたい親衛隊とでケンカがあったことも。母は親衛隊にお茶を出すなど仲よくしていたそうですが、大変だったでしょうね。
私自身も、怖い思いはたくさんありました。ファンレターに「待ちぶせしている」と書いてあったり、タクシー乗車中に尾行されてカーチェイスさながらになったり。一時期は、道行く人全員が怖く思えて、いつも下を向いて歩いていましたね。
1日に番組収録3本、合間は雑誌取材やラジオで埋められるなど、とにかく多忙な日々でしたが、救いは、メンバー間の仲が本当によかったこと。ハプニングでマイクが2本しか用意されなかった時は、あうんの呼吸でマイクを回し合って切り抜けたり、雑誌インタビューでは、誰が何を答える、などは暗黙の了解で進みました。
今でも3人で食事に行くほど仲よし。永作博美ちゃんとは数年前、私の夫を含め3人でディズニーランドに行ったことも。彼女は本当に芸能人ぶらないので、私と夫が気を遣い、彼女のボディガードに徹しました(笑)。
──
ribbonの活動が緩やかになり、ソロ活動を経て、98年、現在の夫と結婚、憧れだった専業主婦に。
──
お母さんになることも夢でした。が、不育症で子供が子宮内で成長せず、心身のダメージが大きく諦めたんです。でも当時、子供を作ることに執着していた自分と、今の自分とを比べると、今のほうがいい。後悔なく、そう思えます。
そのきっかけは、35歳で半年間学校に通い、スポーツインストラクターの資格を取ったこと。今はさまざまなジムで1日3コマ×週4日でやっています。生徒数は1クラス40~50人から、体育館などの広い場所で大人数を相手にすることも。インストラクターって意外とアイドルとの共通点があるんです。ライブ感や盛り上げ方、機転の利かせ方など、ribbon時代が生かされています。
そうそう、さっきまで、元「CoCo」の宮前真樹さんと会っていたんです。
「またみんなで何かやりたいね、乙女塾を集めようかな?」
なんて企画、考え中です。