この男の名を仮にSとしよう。Sは神奈川県小田原市の叔父の家に住んでいたが、49年、隣にある銭湯の女湯をのぞいているのを銭湯の主からとがめられ、カッとなって肉切り包丁と手斧で銭湯一家5人を殺害したのだ。犯行動機は実に幼稚で身勝手なものだった。
そしてSには死刑判決が下る。ところが52年、サンフランシスコ講和条約を記念する恩赦が実施され、なんとSもその一人に選ばれたのだ。
「実はこの講和恩赦には、条件がありました。それは殺人と尊属殺人のみで、2つ以上の別の刑事罰が付いている場合は対象外だったこと。そして無期懲役に減刑されたSは仙台拘置支所から宮城刑務所に移され、ここで模範囚となって出獄するのです」(斎藤氏)
それが70年3月のことだった。大量殺人犯にも恩赦が適用されるなど、にわかには信じがたい判断だろう。
しかし考えてみれば、Sが再犯に走る可能性は十分に考えられた。
Sは84年7月、同棲中だった13歳の家出少女を、別れ話のこじれから7カ所も刺してしまう。さらにはこの少女に加担したと思い込んだ友人の少女に対しても3カ所刺すなどし、殺人未遂事件の犯人として逮捕された。
斎藤氏は嘆息する。
「別れてやるから話がしたいと呼び出して犯行に及んでいるところといい、明確な殺意があったのは間違いない。Sは野に放った虎。いくら模範囚だったとはいえ、5人も殺した犯人を出獄させたことには問題があった」
Sはこの事件で懲役8年を宣告されたうえ、先の仮出所も取り消されることになり、宮城刑務所に身柄を移された。
Sは09年に獄死したが、この事件を機に、恩赦に対する国の考えが変わってきたことは確かである。
一方では、恩赦になって無期懲役に減刑されたものの、在監中に精神疾患を発症し、いまだ67年間も刑務所にいる受刑者もいるのだが‥‥。
最後に、恩赦についての斎藤氏の見解を聞いてみよう。
「裁判員制度ができ、死刑判決を求める裁判員の苦しい胸中がある一方で、行政が恩赦を実施していたら、矛盾するのではないでしょうか。恩赦は何が基準になっているのかはっきりしませんが、小田原一家5人殺害事件の実例を見ると、刑務所内の服役態度が良好で模範囚であったことが条件を満たしていたのではないかと思われます。しかし、時代が変わり、死刑囚の減刑というのは、これからはないと思いますね」
それもまた、時代の潮流なのだろう。はたして来春、そのとおりの光景が見られるのか──。