ここで、その保険金殺人事件について記してみよう。
事件は84年5月5日、北海道の夕張で発生した。逮捕された暴力団員と妻は夕張炭鉱の下請け会社を経営していたが、従業員4人に保険金をかけ、手下に放火させて殺害。まんまと1億3800万円を手にした。
金遣いの荒い凶暴な男と悪知恵にたけた女──。新聞には派手な見出しが躍った。
87年、2人に死刑の判決が下ると、すぐに控訴。ところが一計を案じた2人は控訴を取り下げ、判決を受け入れた。恩赦に期待してのことだったのだ。
「事実、控訴を取り下げて4カ月後には天皇大喪恩赦が実施されてしまうんですが、実はこの恩赦には死刑囚は含まれていなかったんです。しかし男は諦めることなく、札幌高裁に控訴取り下げは法律知識がなかったため勘違いした、と訴えを起こし、最高裁まで争っています」
だが、その訴えはあえなく却下され、夫婦は同じ日に死刑が執行された。はたしてこれは、希望的観測に基づく判断が裏目に出た、と言うべきなのか‥‥。
斎藤氏はかつて、2人のブローカーが殺害された福岡事件で逮捕され、死刑判決を受けながら42年の獄中生活の末に出所した人物にインタビューしている。
敗戦直後の事件で捜査が混乱したこともあってか、逮捕された主犯の男はともかく、この人物は冤罪を主張した。そしてみずからの右目を潰し、抗議も行っている。斎藤氏が回想する。
「当時、塀の中では帝銀事件の平沢貞通、免田事件の免田栄など、再審請求が盛んでした。気がおかしくなりそうになりながら耐えられたのは、自分だけではないという『共感』があったからでしょうが、2人の運命は分かれます。主犯の男には死刑が執行され、みずからは恩赦による無期懲役に減刑された。獄中の本人から聞いた『死刑を執行される夢を何度もみた』という言葉が印象的でしたね」
話はそれるが、興味深い一件がある。斎藤氏は02年に起きたマブチモーター事件で、馬渕社長の妻と娘を殺害し、自宅に放火した小田島鐵男元死刑囚の身元引受人となっていた。
「死刑判決が確定する1カ月くらい前でしたが、小田島から『確定すると、これまでのように文通、面会ができなくなる。形だけでいいから、身元引受人になってくれませんか』と頼まれたんですよ。しかし引き受けたものの、金品の差し入れを要求されるのではないかと、憂鬱でした。ともあれ、小田島は控訴を取り下げ、死刑判決を確定させた。そして、あにはからんや、ガンにかかったのですが、治療を拒否し、獄死した。死を前にして懺悔したわけです」
さて、実は現在の「死刑囚と恩赦」の関係に深く関わってくる事件がある。
それは84年7月8日、恩赦で出獄した53歳の男が家出少女と同棲したあげく、別れ話がこじれてナイフで刺した、というものだった。