テリー 当時の橋さんの人気って社会現象レベルだったんですけど、本人としてはどんな気分でしたか?
橋 もう目が回るほど忙しくて、そんな実感、まったくなかったですね。
テリー とはいえ、普通の高校生が突然、日本一の人気者になるわけでしょう。生活も一変したんじゃないですか。例えば、昔はレコードジャケットやアイドル雑誌に、平気で芸能人の家の住所なんかが書いてあったから、ファンが大勢押しかけたりしませんでした?
橋 そうそう、今だったらありえないですよね。実家は中野で呉服屋をやっていて、僕はその3階に住んでいたんですけど、みんなバレちゃってた。毎日、店の前に人だかりですよ。
テリー そりゃそうでしょう。
橋 当時、僕はバス通学をしていたんですが、店の前に人が大勢いるのがバスの中から見えるんですよ。最初は何だかわからなくて、それで家の裏口のほうへ歩いて行ったら姉がいるから「何、あの人たち?」って聞いたら、「何じゃないわよ、あんたを見に来てるのよ!」って手を引っ張られて、慌てて裏口に引きずり込まれて(苦笑)。もうまったく驚天動地ですよ。
テリー 家でそれだから、学校でも大変だったんじゃないですか。
橋 最初は歌手になったことを内緒にしていたんですけど、テレビに出始めたらさすがにバレちゃってね。でも、校長も担任も「芸能活動を優先しろ」と言ってくれて、すごく応援してくれたんです。
テリー 学校も、橋さんが自慢だったんでしょう。
橋 とはいえ、高3の時は忙しくて1日も行っていませんから。卒業式も出られなくて、代わりにおふくろが行って卒業証書をもらってきてくれてね。
テリー で、橋さんの人気はさらに高まっていきますよね。
橋 そうですね、僕のデビューの3年後に舟木(一夫)君、4年後に西郷(輝彦)君がデビューして「御三家」と呼ばれるようになったりしてね。
テリー もう「御三家」の人気といったら、ものすごかったですから。あの頃、橋さんは20歳ぐらいですよね。あんな喧騒の中にいて、人間的におかしくならなかったんですか?
橋 そうならないように、会社から「身内の中で誰かできる人、いませんか?」という話があって、最初のマネージャーは姉が担当してくれたんです。ちょうどその時、姉は結婚する予定だったんですけど、それを延期してくれて、僕の付き人兼衣装係として3年間務めてくれたんです。
テリー そうか、じゃあ、ご両親も安心して。
橋 でもその反面、つまんない3年でしたよ。
テリー えっ、そりゃまたなんでですか?
橋 だって一切、「大人の話」にならないんですから。今だから言えますけど、当時は地方公演に行くと、興行師さんが全て上げ膳据え膳でね、「今夜どうします、遊びますか?」って聞いてくれるわけ。だけど、それを姉が「いえ、うちは結構です」って全部断っちゃうんですよ。バンドの連中はみんなお酒を飲みに行ったり、夜の遊びを楽しんでいるのにね。
テリー なるほど、それは寂しいですね。
橋 そうですよ、地方公演の夜は、いつも姉と挟み将棋。
テリー ハハハ! いちばん性欲があって、しかも、すごくモテてる時なのに(笑)。
橋 そうですよ、本当にあの時はつまんなかった。