昨年のドラフト会議で最大の目玉選手とされ、7球団の競合のすえ、北海道日本ハムファイターズへ入団した清宮幸太郎。オープン戦の最中に限局性腹膜炎で入院するなど、高校生No.1スラッガーの高評価に値する活躍はまだ見られないが、そんな怪物打者の母校・早稲田実(東京)は、日本プロ野球史上最強のホームランバッターを生んだ高校でもある。読売巨人軍の主軸打者として通算22年の現役生活で放った通算本塁打数は868本でいまだ世界記録。そう、“世界の王”こと現・福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長兼GMがその人である。
王がチームの主力選手だった1957年の第29回春の選抜で、早実は春夏の甲子園を通じて初優勝を飾る。しかもこの時、王は4番バッターというだけでなく、背番号1を背負うエースでもあったのだ。
2回戦から登場した早実は寝屋川(大阪)と対戦。試合は緊迫した投手戦となったが、5回に早実が1点を先制。この最少得点を王が守り抜き1‐0で辛勝を収めたのである。王が打たれたヒットはわずか1本。10奪三振の力投だった。続く準々決勝の柳井(山口)戦では初戦から一転、打線が12安打を放ち4点を挙げた。王自身も4打数2安打2打点。投げても被安打5の11奪三振で2試合連続完封と、まさに中心選手らしい大活躍ぶりを見せたのだった。準決勝の久留米商(福岡)との一戦は2回に4点、4回にも2点を加え前半で勝負を決めた。王は打たせて取るピッチングで奪三振こそ6個に終わったが、被安打は4本。6‐0の完封で実に3試合連続シャットアウトの27イニング無失点というみごとな内容で決勝戦へと勝ち進んだのである。
決勝戦の相手は四国の雄・高知商。相手のエース・小松敏宏(元・読売)も王と同じ左腕でしかも4番を打つチームの主軸選手だった。打線が好調な早実はこの小松の立ち上がりを襲い、王の左越え二塁打を含む三連打で1回表に2点を先制。続く2回にも満塁のチャンスから小松の暴投で1点を追加。さらに5回にも2点を入れ前半で5‐0とリードを広げる。王は投げても得点を与えず、このまま早実が逃げ切るかと思われた。
その王が高知商打線に掴まったのが8回裏だった。ヒットと2つの四球で二死満塁とされ、連続タイムリーを浴びて一気に3失点。王にとっては35イニング目での初失点となったが、実は王は初戦の試合中に左手中指の先が裂けてしまっていたのである。その後、試合のたびに出血していたが、この決勝戦での出血はひどかった。それでも続くピンチで次打者を三振に仕留め、同点を許さなかった。結果、5‐3で逃げ切り、早実は春夏の甲子園を通じて初の優勝を果たしたのである。
白球を赤い血に染めて力投したこの王の姿から“血染めの優勝”とも言われたが、実はこれは選抜が始まってから30年余にして紫紺の大旗が初めて箱根の山を越えた大快挙でもあった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=