甲子園大会でのノーヒットノーランは春夏通じてこれまで37回達成されているが、その中でたった1度だけ、延長戦で記録されたノーヒットノーランがある。57年第39回大会でのこと。その記録保持者こそが、早稲田実(東京)の2年生エースだった王貞治(元・巨人)である。
この年の早実は春の選抜で甲子園初制覇を飾っていて、当然のようにこの夏の選手権でも優勝候補の一角として甲子園出場を果たしていた。当然、王も2年生エースながら春の選抜の優勝投手として注目されていた。そして組み合わせ抽選の結果、2回戦から登場することとなった早実は寝屋川(大阪)と対戦。王は立ち上がりから快調なピッチングを披露していたが、相手の島崎武久も好投手で、早実打線もなかなか攻略しきれないまま緊迫した投手戦が続いていった。そしてとうとう0‐0のまま、延長戦に突入することに。9回を投げ終えた時点で王は寝屋川打線をノーヒットに抑えていたものの、早実打線も寝屋川のエース・島崎の巧みなピッチングにかわされ、散発の4安打に終わっていた。
こうしていつ果てることもなく続くと思われた投手戦だったが、延長11回表、試合が動いた。早実は3番を打っていた王が敬遠されて1アウト満塁のチャンスを迎える。この絶好の場面で4番の相沢邦昭が犠牲フライを放ち、ついに1点をもぎ取ったのだった。その裏、王は寝屋川打線を3者凡退に退けて、春夏通じて史上初の延長戦でのノーヒットノーランを達成したのである。投球数136、打者36人に対して奪った三振8、与えた四死球4という投球内容であった。
この勝利でチームは勢いに乗り、春夏連覇へと近づいたと思われたが、準々決勝で法政二(神奈川)の前に1‐2で惜敗。連覇の夢は潰えたのであった。
さらに最上級生となった翌年。王は主将として春の選抜に帰ってきた。春連覇を狙ったものの、準々決勝で済々黌(熊本)に5‐7で敗退。そして夏は東京都大会の決勝で延長12回、5‐6で明治に逆転サヨナラ負けを喫し、最後の夏に甲子園に戻って来ることはできなかったのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=