大会初日の第2試合に登場する国学院栃木。春の選抜は2000年以来、18年ぶり4回目の出場となるが、夏の選手権は1985年に1度出場しただけだ。とはいえ、ここ数年の夏の県予選は必ず上位に進出してくる、県内屈指の強豪校でもある。だが、夏の甲子園は遠い。しかも近年3年間はすべて決勝戦で無念の敗退を喫している。それもすべて同じ相手に。その宿命のライバルこそが2011年以降、夏の県予選7連覇中の作新学院である。
2016年の夏の甲子園では全国制覇を果たすなど、ここ数年の甲子園での作新の活躍は目覚ましいものがあるが、実は一時期、低迷していた。その低迷前の1962年第34回春の選抜で同校は優勝しているのである。
この時のエースは八木沢荘六(元・ロッテ。1992~94年には千葉ロッテの監督)。多彩な球種と抜群のコントロールで相手打線に連打を与えない投球が武器。大会では接戦の連続だったが、だからこそ八木沢の投球術が光ったのである。初戦の久賀(現・周防大島=山口)戦を5‐2で制すと準々決勝の八幡商(滋賀)との試合は選抜史上初の、そして唯一の延長18回引き分け再試合となった。八幡商のエース・駒井征夫のシンカーに作新打線はてこずり、8安打7四球を奪いながら13残塁を喫し、要所を抑えられた。一方の八木沢も8安打を浴びながら無四球。相手に得点を許さなかった。
再試合も接戦だった。作新打線は3回と8回に1点ずつを取ったものの、相手投手陣の前にわずか3安打。作新ベンチは先発に控えの熊倉栄一を起用し、八木沢へ継投してこの2点を守りきり、2‐0で逃げ切ったのである。
準決勝の強豪・松山商(愛媛)との一戦も延長戦へと突入する大接戦。2‐2の同点で迎えた延長16回表に相手の2つのエラーで1点を勝ち越し、これが決勝点となった。作新投手陣は八木沢からもう一人の控え投手・加藤斌(元・中日)につないで必死の防戦。3日間で43イニングを戦った作新ナインは疲弊していたものの、ついに決勝戦へと進出したのである。その相手は投手力が自慢の日大三(東京)であった。
戦前の予想通り、試合は投手戦となった。八木沢は立ち上がりこそ変化球を狙われてヒットを許したが、中盤以降は直球中心の組み立てに変え、安定した投球を展開。対する日大三もエースの井上治男(早大‐日本石油)が速球と大きなカーブで対抗。結局、終盤の8回表に1アウト一、二塁のチャンスからタイムリーが生まれた作新学院に待望の1点が入り、これが決勝点に。八木沢が気力で投げきり1‐0で勝利した作新学院が春夏通じて栃木勢に初の優勝をもたらしたのだった。
この後、作新学院は同年夏の選手権も制して、甲子園史上初となる春夏連覇の偉業を達成した。そしてその11年後、あの昭和の怪物・江川卓(元・読売)を擁して再び甲子園を沸かせることになるのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=