3月26日の大会7日目は、春夏の甲子園史上初めての出来事が起こった。2試合連続の延長15回引き分け再試合である。まさに前代未聞、今後もないだろうと思われる。この引き分け再試合制度、もともとは58年の夏の選手権から選手の健康管理を考えて導入されたもので、当時は延長18回で決着がつかなかった場合、引き分け再試合になっていた。さらに選手の体調を考慮して、00年には15回で引き分け再試合とイニング数が短縮されたが、実は延長15回で引き分けにしたことで、以前にも増して再試合の数が増えているのだ。
春の選抜に限ってみると、延長18回時代の引き分け再試合は62年の準々決勝の作新学院(栃木)対八幡商(滋賀)の0対0引き分けで、再試合は作新学院が2対0で八幡商を降したという例、一例のみ。これが15回に短縮された途端に、03年準々決勝の東洋大姫路(兵庫)対花咲徳栄(埼玉)の2対2で、再試合は東洋大姫路6対5花咲徳栄、06年2回戦の早稲田実(東京)対関西(岡山)の7対7で再試合は早稲田実4対3関西、08年3回戦の平安(現・龍谷大平安=京都)対鹿児島工の3対3で再試合は平安1対0鹿児島工、14年2回戦の桐生第一(群馬)対広島新庄の1対1で再試合は桐生第一4対0広島新庄、そしてつい先日の2例を合わせて計6例もあるのである。逆に延長15回で決着がついたのは09年1回戦の福知山成美(京都)5対2国士舘(東京)と、明徳義塾(高知)3対2智弁和歌山の2例しかないのだ。ちなみに延長18回時代には、延長16回や延長17回で決着がついた例がほとんどで、その中には88年の準決勝の延長16回で宇和島東(愛媛)5対4桐蔭学園(神奈川)や90年の準決勝の延長17回で新田(愛媛)4対3北陽(現・関大北陽=大阪)のような球史に残る試合が含まれている。
ちなみに今回再試合となったのは福岡大大濠対滋賀学園、健大高崎対福井工大福井の2試合。これで滋賀県勢と群馬県勢はともに史上2回目の延長戦引き分け再試合を経験した県になったということになる。
(高校野球評論家・上杉純也)