手束氏が、
「歴代の強豪校を見ても、群を抜いて強かったチームの一つ」
と絶賛するのが、西東京代表として11年に6試合連続2桁安打を記録し、優勝まで一気に駆け抜けた日大三だ。
「01年に次いで2度目の戴冠となりましたが、その時よりも数段強かった印象です。とにかく圧倒的な打力でした」(手束氏)
一方で美山氏はまた別の角度から、その強さを解説する。
「大会中、甲子園の周辺校で練習する日大三を、他の出場校が偵察に来たのですが、あまりのレベルの高さに戦意喪失してしまったと聞きます。しかも、それはバッティング練習ではなくて、内野のボール回しのスピードが速すぎたからだったそうです」
つまり、守備面での連係も、甲子園に出場する強豪のレベルをはるかに上回っていたということになる。
他にも関東からは、のちの常総学院監督で高校野球界きっての名将・木内幸男監督のもと、茨城県勢初の優勝を果たした84年の取手二や、「元祖・甲子園の怪物」の江川卓が快投を見せながらも2回戦で散った73年の栃木・作新学院など、特大のインパクトを残したチームをピックアップ。そして、多くの人が史上最強校と呼んではばからないのが、98年に松坂大輔を擁して劇的な優勝を果たした神奈川・横浜である。
芸能界一の「高校野球通」として知られる芸人かみじょうたけしが語る。
「高校野球が好きでたまらず、売り子のバイトをしてどうにか観戦したのが、横浜高校が春夏連覇を達成した第80回大会でした。その後もダルビッシュや田中マー君らいろんな大投手を見てきましたけど、その中でも味方に与える安心感、そして敵チームに与える威圧感ではダントツでしたね。歴代の高校球児でベストナインを選出するとしたら、投手は松坂でしょう」
北信越地方の歴代代表校の中で今も語りぐさになっているのが、松井秀喜の「5連続敬遠」もあって2回戦敗退となった92年の星稜(石川)だ。かみじょうは、歴代ベストナインに「サード・松井」をあげたうえで、
「特大ホームランや値千金のヒットではなく、バットを一度も振らずに伝説を作ってしまうのだから、まさに規格外ではないでしょうか」
そんな同郷の星稜の陰に隠れてはいるが、美山氏が推すのは、02年に初出場でベスト8に躍進した遊学館だ。
「同校の山本雅弘監督は、陸上部の出身で、独自の野球理論を持っていました。ベースランニングの練習では膨らまずに一塁から二塁へ直角に曲がらせたり、フライを片手で取らせたり、既存の野球の概念ではありえないことの連続で、ものすごい衝撃を受けました」
石川県勢初の優勝校は名門・星稜か、それとも‥‥。