昨秋の東京都大会を勝ち抜いて今回の選抜出場を決めた日大三。甲子園では春1回、夏2回の優勝を誇るが、同じ東京都のチームで日大三と同じ春1回、夏2回の優勝経験のあるチームがある。阪神タイガース型の縦ジマのユニフォームでもお馴染み、全国屈指の強豪として知られる帝京である。
帝京が甲子園という全国の舞台に初めて登場したのは1978年の第50回春の選抜だった。この時は九州の古豪・小倉(福岡)の前に0‐3の完封負けで初戦敗退を喫している。その後、2度目の出場となった1980年第52回大会と1985年の第57回大会では準優勝に輝いた。前者の時は伊東昭光(元・ヤクルト)、後者の時は小林昭則(元・ロッテ。現・帝京第五高校監督)と、ともに好投手を擁していたが勝ちきることが出来なかった。
その帝京が春の選抜3度目の決勝戦に挑んだのが1992年第64回大会である。エースは三澤興一(元・読売など)だった。初戦の日高(和歌山)戦は1‐0、2回戦の佐賀商戦は5‐1、準々決勝の三重戦は3‐2、そして準決勝の浦和学院(埼玉)戦は3‐1とすべて僅差の試合ばかりを三澤一人で投げ抜き決勝戦へと進出。中でも佐賀商との一戦では13三振を奪う快投を見せていた。
決勝戦は大会No.1右腕と評された吉田道(元・近鉄)を擁する東海大相模(神奈川)。試合は三澤と吉田、この両投手による息詰まるような投げ合いとなった。
帝京は2回表に1点を先制すると4回表にも2点を追加。対する東海大相模も4回裏と7回裏に1点ずつを返し、3‐2と1点差に迫った。1点を争うシーソーゲームとなる中、ついに迎えた9回裏。帝京は2アウトを取りながら一、二塁と一打同点、あるいは逆転サヨナラ負けのピンチを迎えてしまう。この場面で東海大相模の次打者が放った打球はライト前ヒット。同点かと思われたが、次の瞬間、ライトを守っていた宮崎晃人が好返球を見せ、ホーム寸前でランナータッチアウト。劇的な幕切れで帝京の春選抜初制覇が成し遂げられたのである。エース・三澤は2回戦からの4連投でまさにフル回転。熱投のすえの栄光だった。
実はここ数年、帝京は甲子園にその姿を見せていない。春は2010年、夏は2011年以来出場がないのだ。100回大会を迎えるこの夏、甲子園名物となったあの縦ジマのユニフォームを見ることが、はたして出来るのだろうか。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=