1999年の春選抜で沖縄尚学が県勢として初の甲子園制覇を成し遂げてから11年後の2010年。今度は沖縄県から春夏連覇の快挙を達成するチームが現れた。興南である。その原動力となったのが独特の投球フォームで“琉球トルネード”と呼ばれた剛球左腕・島袋洋奨(福岡ソフトバンク)だった。
島袋擁する興南は、この前年の甲子園にも春夏連続出場を果たしている。しかし、春は富山商に延長10回の末、0‐2、夏は明豊(大分)に3‐4と、いずれも接戦での初戦敗退。ここ一番での勝負弱さを露呈してしまっていたのであった。
そのリベンジを果たすべく、2010年の第82回春の選抜で島袋は三たび甲子園に乗り込んできた。1回戦の関西(岡山)戦は10本のヒットを浴びながらも無四死球の14奪三振1失点の完投で4‐1。見事、三度目の正直で初戦を突破したのである。
続く2回戦は優勝候補の一角に名を連ねる関西の強豪・智弁和歌山。島袋は強打の智弁和歌山打線に10安打されたものの、要所を締めるピッチングで2試合連続二ケタ奪三振となる11奪三振。この力投に打線も応え7‐2で快勝したのであった。
準々決勝は島袋が帝京(東京)相手に5安打7奪三振完封。5‐0で撃破すると前年秋の明治神宮大会覇者・大垣日大(岐阜)との準決勝では、投打が噛み合い10‐0で大勝。初の決勝戦進出を決めた。この試合、島袋は7回を投げて6奪三振ながら、被安打2。2試合続けて安定したピッチングを誇っていた。
迎えた決勝戦。相手は島袋と同じ左腕エース・山崎福也(オリックス)擁する日大三(東京)。試合は立ち上がりに制球を乱した島袋が2回裏2死満塁から一塁へ牽制悪送球して2点の先制を許すと、続く3回裏にもソロを浴び、早くも0‐3と劣勢に立たされてしまった。だが、ここから味方打線が反撃して5回表にまず1点。さらに6回表には島袋自らが左中間への二塁打を放つなど4長短打で5‐3と逆転に成功。しかし、敵もさるものでその直後の6回裏に島袋がソロアーチを打たれるなどして5‐5の同点に追いつかれてしまう。その後は両チームの投手が踏ん張り試合は延長戦へと突入するのである。
その12回表だった。興南は1死満塁のチャンスから相手サードの本塁悪送球でまず2点の勝ち越しに成功。さらに島袋が左中間へタイムリー二塁打を放つなどして計5得点。その裏の日大三の攻撃を島袋がしのいで10‐5で勝利した。興南は沖縄尚学に次いで沖縄県勢2校目の甲子園優勝チームとなったのであった。そしてその4カ月後。この島袋擁する興南は夏の選手権も制覇して史上6校目となる春夏連覇の偉業を達成することとなるのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=