戦後最大のスーパーアイドルとも称された西城秀樹。数々の大ヒット曲とともに、飾らない人柄もまた、国民的なスターにふさわしいものだった。2度の脳梗塞により、重い後遺症が残りながらもステージに立ち続けた男の実像とは──。
4月25日に自宅で倒れ、救急搬送された時にはすでに心肺停止の状態だった。それから意識を回復させることなく、家族らに見守られて5月16日午後11時53分、急性心不全により63年の早すぎる生涯を閉じる。
03年と11年の2度にわたって脳梗塞を発症し、特に2度目のあとは言語障害や右半身のしびれなど、目に見える形の後遺症が残った。本誌にも「テリー伊藤対談」や単独インタビューなどで何度も登場しているが、1メートルを歩くのに1分ほどかかったこともあった。
倒れたその日も、西城はリハビリに励んでいた。15年6月から通院した「フリーウォーキングメディカル」の大明竜八院長が語る。
「最初は立つことすらできませんでした。当初の目的はトイレ、お風呂、ご飯、この3つを他人の手を借りずにできるようになること。努力の甲斐あって約半年で立てるようになり、身の回りのこともほとんど自力でできるようになったんです」
だが西城のリハビリは、さらに過酷さを増していく。
2020年のパラリンピックではYMCAのフリつきで「YOUNG MAN」を披露するプランも浮上していたという。5月22日発売の「週刊アサヒ芸能」5月31日号では志半ばで帰らぬ人となった西城の知られざる闘病エピソードを明かしている。