戦後最大のスーパーアイドルとも称された西城秀樹。数々の大ヒット曲とともに、飾らない人柄もまた、国民的なスターにふさわしいものだった。2度の脳梗塞により、重い後遺症が残りながらも、生涯、ステージに立ち続けた男の姿──。63歳の突然死に向かう「凄絶な15年」の日々を追った!
「MARIE~!」
今年4月19日、東京・練馬文化センターで開催された「第23回 紅白歌合戦」(日本歌手協会主催)の最後方の席で、立ち上がって声援を送る男がいた。それが、西城秀樹である。この日が結果的に「人前に出た最後の姿」になってしまったが、当日の総合司会を務めた歌手協会理事・合田道人氏が明かす。
「MARIEというのは、秀樹さんの奥さんが通っているエステティシャンで、秀樹さんとも家族ぐるみのつきあい。この日、MARIEが歌のステージに立つというので、応援に来たんです。2度も立ち上がって『MARIE~!』と叫んだんですよ」
合田氏はMARIEのステージ後、西城のもとへ駆け寄って直撃インタビューを敢行。立ち上がった西城に、客席は総立ちして歓声を送った。
「秀樹さんに『元気になってよかったですね』と聞くと『はい、はい』とニコニコしながら答えました。歌手協会で主催している11月の歌謡祭にも『今年は出ていただけますね』と続けたら、力強く『はい、ぜひ』と言ってくれました。実は席で何度も立ったり座ったりを繰り返して周りの人が不思議がっていましたが、それも秀樹さんのリハビリだったんです」
貴重な「最期の肉声」は、会場に居合わせた約1400人の観客のみが聞くことができたのである。
だが、この日から6日後の4月25日に自宅で倒れ、救急搬送された時にはすでに心肺停止の状態だった。それから意識を回復することなく、家族らに見守られて5月16日午後11時53分、急性心不全により63年の早すぎる生涯を閉じる。
03年と11年の2度にわたって脳梗塞を発症し、特に2度目のあとは言語障害や右半身のしびれなど、目に見える形の後遺症が残った。週刊アサヒ芸能にも「テリー伊藤対談」や単独インタビューなどで何度も登場しているが、1メートルを歩くのに1分ほどかかったこともあった。
倒れたその日も、西城はリハビリに励んでいた。15年6月から通院した「フリーウォーキングメディカル」の大明龍八院長が語る。
「最初は立つことすらできませんでした。当初の目的はトイレ、お風呂、御飯、この3つを他人の手を借りずにできるようになること。努力のかいあって約半年で立てるようになり、身の回りのこともほとんど自力でできるようになったんです」
だが西城のリハビリは、さらに過酷さを増していった‥‥。