アクションを得意とした深作欣二だが、一方で「オンナを撮る」ことにも定評があった。ベテランから新人まで、数多くの女優たちが「深作マジック」によって開花するが、ここに登場する宮本真希もその1人。深作作品では唯一の「主演のデビュー作」という僥倖を味わった──。
〈相原はウチんこと雌犬っちゅうて、後ろからしかせんとよ‥‥。あんたは前からね? 後ろからね?〉
抱いた男がすべて死ぬという「下がりボンボン」と呼ばれる女。ひし美ゆり子が「新仁義なき戦い 組長の首」(75年/東映)で演じたホステスの綾は、みごとな裸身を見せながら黒田(菅原文太)を挑発する。
かつて「ウルトラセブン」のアンヌ隊員役で特撮ヒロインとなったひし美だが、ここでは「女の情念」をしたたかに演じている。ひし美にとっては引退を考えていた時期でもあり、これが唯一の深作欣二作品となった。
「正直、撮影中はずっとビビッていたの。だって私よりベテランの役者さんでも、テストが30回くらい続いて『ダメだ!』って怒られていたから」
ただし、初顔合わせとなるひし美には厳しさは見せなかった。どこか開き直ったような魔性の女役は、後日、深作も高い評価を与えている。
「ベッドの上で裸になって体をくねらせるところは、実は監督が芝居をつけてくださったのよ。ちょうど10年ほど続けた女優業の最後の思い出になったわね」
80年代に入ると、深作は「女性映画」へ積極的に取り組む。松坂慶子主演の「道頓堀川」(82年/松竹)や、吉永小百合主演の「華の乱」(88年/東映)がある。
原田美枝子が日本アカデミー賞・最優秀助演女優賞を獲得した「火宅の人」(86年/東映)もまた、女たちの烈しい演技が見ものだ。演技だけでなく、原田は緒形拳とのケンカのシーンで顔が10センチ以上も切れてしまう事故が起こった。原田は、後に自伝で当時の心境を綴っている。
「もう俳優として仕事ができないかもしれないと思いショックでした」
全治10日という治療の日々に、深作から手紙が届けられた。
〈何より大切な顔に怪我をさせてしまい本当に申し訳なく思っています〉
原田は無事に治療を終えて撮影所に戻ると、深作らスタッフやキャストから拍手で迎えられた。自分の生きる場所を再確認し、以来、大女優の道を突き進む。深作からの手紙は、今も大事に保存してあるという。
そんな深作は99年、京都の花街を舞台にした「おもちゃ」(東映)という作品に取り組んだ。深作いわく「1人も死者が出ない珍しい映画」となった。
そして置屋の下働きから舞妓として旅立つヒロイン・時子に求めたのは「イメージがついていない新人」であった。深作は各事務所を回るが、一致する素材に巡り会わない。
宮本真希(35)はこの年、宝塚歌劇団に所属しながら、女優への道を模索していた。受けていたオーディションを主宰する事務所社長と偶然に出会ったことから、一気に道が開けた。そして深作との面談に向かう。
「ホン読みとか一切なく、私の実家の愛媛のことや家庭環境など、世間話をしているうちに決まっていた感じでした。皆さんから『怖い監督』と聞いていたけど、すごく優しくて拍子抜けしたくらいでした」
ただし、深作は宮本に念を押している。
「この映画にはヌードシーンがあるよ」
もともと東映の「吉原炎上」(87年)が持つ紅蓮の情念に感銘を受けた宮本は、ストーリーに必要なら脱ぐことにためらいはない。深作の問いにも、きっぱりと了解の返事をした──。