宮本は京都での撮影に備え、ずっと「浴衣に下駄ばき」で過ごした。昭和33年という時代設定と下働きの役であり、下駄ひとつ不慣れなようではヒロインを演じられないと決意した。
これに対し深作は宮本の化粧にこだわりを見せた。物語のクライマックスで白塗りの舞妓となるヒロインゆえに、その前段階から注意を払った。深作なりのリアリティの追求である。
実は深作は当時、すでに前立腺ガンを発症してはいたが、撮影所では病気のことは誰にも気づかせなかった。
「いろんな人から聞いていた『深夜作業組』って、本当にそうだなと思いましたね。いつも夜中の2時半になると、監督のテンションは最高潮でした。最長で38時間ロケというのもあって、最後は監督もカットをかけられず、レフ板の後ろで眠っていた状態」
クランクイン直後には、メインのカメラマンが降板して撮影が休止するという不測の事態があった。この窮地を聞きつけ、日本一の撮影技術を誇る木村大作が駆けつけたため、無事に続行できた。
深作は撮影時、70歳に届こうかという年齢だったが、少年のように撮影を楽しんでいた。例えばヤクザたちが街中で乱闘するシーンなどは、身を乗り出して目を輝かせた。
「色街が舞台ですから、2階で芸妓と客がセックスするシーンがあります。ここで監督は、窓の外で小物がカタカタと揺れるような撮り方をうれしそうに見ていました」
映像作品はまったくの新人である宮本を、常に「お嬢」と呼んだ。どのシーンにも細かい演技指導はなく「とりあえず、やってみて」が深作の流儀だった。宮本はデビュー作ながら、俳優の個性を大事にする監督だと思った。
そして注文をつける際も、深作らしい気配りを見せている。
「私のセリフそのものにNGは出さないんですけど、独特の表現で『気持ちが1ミリだけ足りなかったね』と‥‥。私もだんだんと監督と気持ちが同化してきて、カットをかけたあとに『お嬢、どうだ?』と言ってくる時は、必ず私が納得していないタイミングでした」
映画の撮影現場では、一定のタイミングでラッシュ(荒編集のフィルム)を試写で観る。通常、スタッフ側だけであり、役者には見せないものだが、深作は必ず宮本を同席させた。
「お嬢、このままでいいか? どこか撮り直したいところはないか?」
監督と主演女優の意見は不思議なほど一致していた。本来は3カ月以内という撮影予定だったが、結果的に半年ほどかかったのは、深作が納得ゆくまで粘った賜物である。
やがて撮影は、宮本真希とヒロイン・時子が同時に成長しながら、クライマックスへ向かった。