公私にわたるつきあいは、原が監督となってからも続いている。寮長となった樋澤氏は、選手の退寮時期の決定なども任されていた。それだけ、原監督から厚い信頼を寄せられていたということだろう。
「あいつが監督になってからも、よく飲みに行きました。余談ですが、原は歌もうまくてね。シャ乱Qの『空を見なよ』なんかを歌うと、プロ級の歌唱力ですよ」
今季5冠を達成したとはいえ、原監督にとって12年は波乱のシーズンだった。特に、清武英利氏による数々の“爆弾”で、神経をすり減らされたことは容易に想像できる。
「江川の名前を出し、もともと仲がよかった原と岡崎との関係をギクシャクさせたのも清武君。野球の素人が球団の体質を変えようとして、変な方向に先走りしてしまったんでしょうね。清武君にはいろいろ言いたいことがあるけど、“独りよがり”はそろそろやめてもらいたい」
樋澤氏にとって、原とともに特別な存在となっているのがONだ。樋澤氏が入団した当時はV9の真っただ中。樋澤氏は一軍出場機会に恵まれず、5年でユニホームを脱ぐことになった。
「ONだけでなく、土井さん、柴田さんなどすごいメンバーばかり。野手は固定されていて、若手にはチャンスすら巡ってこない。プロで1年やって、『違う仕事を探そう』と思ったぐらいですから(笑)。そんな中でもONはやはり別格。現役時代、長嶋茂雄さん(76)とはほとんど話ができませんでした。近寄りがたいオーラが出ていましたからね」
そんな神のような男との距離感は、長嶋の引退後、徐々に縮まっていくことになる。長嶋の自宅は、当時のジャイアンツ球場から徒歩圏内にあった。ある日、散歩中の長嶋が球場を訪れ、若い選手への指導を始めたのである。
「私が三軍コーチだった頃かな。散歩中の長嶋さんが突然現れ、選手に熱血指導を始めたんです。そして、私と目が合った時、『樋澤、元気か?』と声をかけてくれて‥‥。それまで、ほとんど話をしたことがなかったので、まさか自分のことを覚えているとは思いもよりませんでした。そりゃ、感動しましたよ」
脳梗塞を患った長嶋は、現在も懸命のリハビリを続けている。樋澤氏は「ある思いがあるからにほかならない」という。
「長嶋さんには『もう一度監督をやりたい』という夢があるんです。誰が何と言おうが、長嶋さんはその夢をあきらめないでしょう。それに、長嶋さんなら奇跡を起こしてしまうんじゃないかと思うんですよ。もう一度、長嶋さんの全試合で勝ちに行く攻撃型の野球が見てみたいですね」