さて、ひととおりボヤいた野村氏は、ここで阪神弱体化の原因に斬り込む。その一つが、監督問題だ。
〈1970年以降の阪神で、一人が連続して長く監督を続けた例は中村勝広の6年間(90─95年)が最長である。(中略)次いで岡田彰布(04─08年)の5年が続く。それ以外は全員が3年以下で交代を繰り返している。(中略)伝統球団といえるチームには、長く監督を務めて、その伝統の土台を作った大監督、名監督が存在してきたからだ。しかし、阪神にはその歴史がない〉
野村氏が首をかしげる要因について、ベテランの阪神担当記者が解説する。
「長期政権がないのは、ファンも親会社も我慢できない性格だから。和田豊監督も後半はごっつい叩かれて、辞めろコールが起きました。いきなり結果を求めるのは関西独特のこらえ性のなさ。1年目のオープン戦から結果を求めてしまう。オープン戦なのに3連敗したら『どうなっとるんや』とマスコミもファンも騒ぐ。それに乗っかってしまう阪神電鉄も情けないですわ」
85年の21年ぶりリーグ優勝、そして日本一の土台は、前任の安藤統男監督が作ったというのは、ファンの間では常識とされる話。その功労者についても、阪神電鉄関係者は言う。
「本当は5年契約やった。今までコロコロ代えたのがよくないから長期ビジョンで、と。でも結果が出ないからと、3年でクビを切った。これが象徴ですわ。結局、ファンもマスコミも親会社も絶対に変わらない。改革は無理です。去年、ファンは『しばらく負けてもいいから、若い選手を使って育てろ』と言いましたが、それを本当にやったら暴れだしますよ」
球団関係者はさらに、こんな信じがたいエピソードも暴露するのだ。
「オフに監督がクビになると、次の『候補者』がスポーツ紙であれこれ取りざたされ、日々、複数の名前があがりますよね。阪神フロントは各紙をチェックし、登場頻度の高い『候補者』を選んでいたことがあった。冗談ではなく本当の話です」
続いて野村氏は、「3年契約」の和田監督の野球観と采配に踏み込んでいく。
〈和田監督が今季、守備を重視し1点を取りに行き、1点を守る野球を目指しながら、適材適所のオーダーを組めずに「4番タイプ」のバッターばかりを並べる、真弓前監督の野球から脱しきることができなかった要因には、和田野球の不徹底と、和田野球の目指すところを理解するコーチ陣がいなかったことがある。だがそれに加えて、和田野球を実践できる選手がいなかったことも大きい〉
要は、「ビジョンと対策の不一致」だというのである。