山本浩二や衣笠祥雄らを擁した「赤ヘル黄金時代」にも成しえなかった、球団史上初のリーグ3連覇を果たした広島カープ。巨人や阪神の“体たらく”もあり、今やセ界最強球団にまで上り詰めた。その過程には、他球団が決してやらなかった方法論でのチーム作りがあった。
広島東洋カープの快進撃がとどまるところを知らない。ベテラン番記者が語る。
「かつては優勝争いの常連時代もありましたが、91年のリーグ優勝以降はなかなか勝てなくなり、2000年代に入ってからは、はっきり言って暗黒時代。緒方孝市監督(49)就任までの15年で、勝ち越しがわずかに2シーズンだけでした。野村謙二郎前監督(52)の在任後年にようやくCSに出場し、成績が上向いてはきましたが、これほどの常勝チームになるとは、我々のような番記者やOBの評論家も、まったく予想していませんでしたよ」
ここ数年で菊池涼介(28)や丸佳浩(29)、鈴木誠也(24)らが日本を代表するプレーヤーに成長したことは非常に大きい。しかし、その前提となる能力ある選手のスカウティングや、スター選手をとどめておけるほどの資金力、選手と一丸になって勝利を喜ぶ大勢のファンの獲得まで、強いチームに脱皮するためのさまざまな要素が求められた。広島は現状、それらが全てうまくかみ合っている状態だと言えよう。
自身も熱狂的な鯉党である作家・迫勝則氏は、近著の「カープを蘇らせた男 球団オーナーのどえらい着想力」(宝島社)で、専門の「マーケティング論」の観点から、近年の広島の強さの“源流”にアプローチを試みている。
「カープの球団経営は、マツダスタジアムの運営にしても、グッズの開発にしても、型破りでどこか普通ではない戦略に満ちあふれています。これは、唯一の市民球団であり、親会社の顔色をうかがう必要がまったくないカープだからこそできたことだと思います」
チーム作りにカネがかかることは明白だが、かつてはドル箱だったテレビ放映権料をアテにできなくなったこのご時世、グッズ販売や入場料収入が球団運営の要となる。広島はその点に早くから着目し、他球団とは違う「脱常識メソッド」を実行してきたのだ。
まずはユニークなグッズ戦略を見ていこう。野球ファンならば、06年に当時のマーティ・ブラウン監督(55)が審判に抗議するさまをプリントした「ベース投げTシャツ」を覚えているだろう。迫氏は、この伝説のTシャツに広島の球団としての経営哲学がある、と言及する。
「私はかつてマツダに勤務していて、若かりし頃から松田元オーナー(67)とも知己があり、近年も、なにかとお会いする機会があるのですが、『本来なら“やってはいけないこと”を思い切ってやる。“言ってはいけないこと”を思い切って言う。そのあたりにヒット商品を作るコツがあると思っている』と聞いたことがあります。カープはその後もユニークなTシャツを何種類も世に出していますが、アイデアをすぐに形にするために、みずからTシャツ工場まで所有しているんですよ」
工場があるから、「サヨナラヒットTシャツ」といった記念グッズもすぐさま販売でき、それらは全て“即完売”だ。今やカープグッズは“カープ女子”を例に出すまでもなく全国的な人気だが、リスクを恐れずにおもしろいものを作ろうとする発想と、時代のトレンドを読む力、迅速な行動力がブームを作り上げたということだ。なお、現在、年間で発売される「新カープグッズ」は、約800~1000種類にも上るという。