歴史を動かしてきた賢人たちが行う健康法は意外にシンプルだ。自分の健康は自分で守る。現代でもマネてみたいものである。
「『魏志倭人伝』に〈倭人は長命で、100歳あるいは80~90歳まで生きる〉とあります。女王・卑弥呼も80過ぎまで生きていたと推測されている」(永山氏)
永山氏によれば、倭の国は温暖で、冬も夏も野菜を食べていたことが大きいというが、すでに稲作が始まっており、主食が硬い穀物だったため、よくかんだことも大きいというのだ。つまりは「カミカミ健康法」。植田氏も同意する。
「かむ回数は健康のバロメーターです。何度もかむ動作は、唾液や胃液の分泌を促し、脳の働きを活発にすることにつながる。食べたものの消化吸収を促し、思考能力を高めるから、記憶力、判断力は増すんです」
そのためには軟らかいものより硬いものを、洋風より和風の食事を、そして、ぜいたくなものより質素な食事を摂るよう心がけることを強調する。
また火山大国のニッポンは温泉王国であるため、武田信玄、豊臣秀吉をはじめ健康法に取り入れた偉人は多い。明智光秀もその一人だ。戦国時代から江戸時代初期にかけての公卿で京都・吉田神社神主だった吉田兼見は「兼見卿記」という日記を遺している。この中で親交あった光秀が、兼見宅の石風呂を好んだとある。植田氏が説明する。
「石風呂は平安から鎌倉時代にかけて、弘法大師や重源上人たちによって作られ、広がったといわれる。自然の岩をくり抜いたり石を積み上げたりしたものなど、形はさまざま。海草や木の葉を焼いた上にムシロをかぶせ、蒸気で体を温めます」
今で言うサウナや岩盤浴の元祖で、発汗作用による新陳代謝での健康効果は高い。光秀はここで何を思っていたのか──。
変わったところでは奥州の武将・伊達政宗。なんと、薬としてタバコを吸っていたのだ。タバコは1584年にスペイン船がなぜか葉タバコを薬として持ち込み、信長、秀吉も取り入れたもの。当然というべきか、吸いすぎて健康を害する者が続出するに至り、秀吉は「タバコ禁止令」を出す。しかし政宗が吸い出したのは1618年。献上されて吸ったのが始まりだった。政宗は薬と信じ、朝、昼、晩と日に3回、1回につき3~5服、キセルをくゆらせていた。健康によくないのは言うまでもないのだが、リラックス効果はあったようだ。当時としては長命で、享年は70歳だった。ただし、死因はガン性腹膜炎、あるいは食道ガンと推定されているから、タバコの影響があったのかもしれない。
戦国武将といえば、織田信長だ。健康の塊のような人物で、朝晩の乗馬、夏の水泳、鷹狩りや鹿狩り、そして武術一般とエネルギッシュな生活だったのだが、信長の健康は、愛用していたわら草履に支えられていたのではないか、と言われている。
「土踏まずができて体のバランスがよくなるうえ、鼻緒を足の指で挟むため、必然的に足の筋肉が鍛えられる。足裏をよく使うので、体全体、神経や脳までも鍛えられます。高温多湿の日本では通気性も、履き心地もよく、こんなに健康的なものはありません」(植田氏)
享年49歳は惜しまれる。
1643年に108歳で大往生した天海上人は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、信長、秀吉、家康の時代を生きた天台宗の僧だったが、家光から健康、長寿の条件を尋ねられ、こう答えている。
「気持ちはゆったり、仕事はきちんと、色気はほどほどに、食物は少食に、そして心は広く持ちなさい」
先人の健康ポリシーやライフスタイルに見習うべきことは多い。