映画や小説、漫画にも数多く登場して、忍者ブームの火付け役となったのは服部半蔵だ。忍者の生き様は過酷だが、食事から運動まで理にかなった最高の健康生活でもあったようだ。
伊賀の忍者、服部半蔵を一躍有名にしたのが、1582年6月に起こった本能寺の変。信長の招きで少数のお供と上方を旅行中だった家康は、明智軍に退路を断たれた。この窮地を救ったのが半蔵。家康を伊賀忍者の裏ルートで無事に岡崎城まで送り届ける“伊賀越え”に成功した。家康の信を得た半蔵は、家康の関東移封とともに江戸に移る。伊賀同心200人を支配、禄高8000石の旗本となって江戸城西門外に居を構え、警護に当たった。今も残る半蔵門だ。
忍者は敵の領地での諜報活動を行うためのさまざまな訓練を重ねた。忍者についての著書もある植田氏が言う。
「忍者たちは医術、漢方に詳しかったんです。その知識は忍びの心得、忍者自身の健康法として現在に受け継がれているものがある」
まずは呼吸法。敵に見つからないように気配を消し、どんな状況下でも平静を保って判断を下す。忍者の呼吸法にはさまざまな種類があるが、その一つが「息おき長なが」。1分間かけて吸い、1分間かけて吐き出すというものだ。忍者は鼻の頭の上に短く割いた紙を付けて、呼吸法を鍛錬したという。
さらには視力の強化だ。忍者にとって、視力は大切な武器である。
「ツボを使って目を癒やしたんです。眼球の周辺には主に3つのツボがあります。目頭から鼻寄りのくぼみが『清明』。ここを親指の腹でゆっくりと押しながら小さな丸を描くように回す。目尻からこめかみのちょっとくぼんだあたりは『瞳子(どうし) りょう』。ここに中指の腹をしっかり当て、上下に動かす。もう一つのツボが『さん竹』。まぶたの内側の端にあり、そこに人さし指を当てて3~4秒強く押す。ツボを的確に押さえること、力の入れ具合がポイントです」(植田氏)
そして、もう一つ。案外軽んじられているのが、歯や歯茎の健康、口臭だという。自分たちの存在をなるべく見えないようにするため、忍者は口臭を消す術を身につけていたという。
何も使わずに口臭を消し、喉の渇きに対処する法を、植田氏が説明する。
「口を30~40回カチカチさせる。次に舌を口の中で左右に12回ずつ回す。そしてたまった唾液は飲み干すんです」
忍者の秘伝にあやかりたいものだ。