Jリーグ史上に残るゴールのひとつといえば、1999年11月27日の浦和レッズ・福田正博のVゴールだろう。「世界で最も悲しいゴール」と呼ばれる、あの一撃だ。
Jリーグはこの年からJ1、J2の2部制をスタートさせる。J1は最終節を前に、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)の降格が決定。降格するのはもう1チームだが、最終節で福岡、浦和、市原が残留争いをしていた。
最終節前の時点で福岡の勝ち点は28、浦和が26、市原が25。ただし、得失点差では浦和が劣るため、浦和が自力で残留を決めるためには90分での勝利が必須だった。
当時のJリーグは延長Vゴール方式を採用。延長戦突入後にゴールを決めた瞬間、試合が終了する。90分での勝利が勝ち点3、Vゴールによる勝利は勝ち点2となっていた。
試合は各会場で同時刻にスタートする。90分を終えた時点で福岡が破れ、市原が勝利。そして浦和は0-0のまま、延長戦へと突入した。
市原、福岡が勝ち点28で並び、浦和は90分終了時で26。市原と福岡は得失点差で浦和を上回っていた。この時点で市原が13位、福岡が14位。とりわけ福岡との得失点差はわずか2だったが、Vゴール方式はゴールが決まった瞬間に試合終了となるため、勝ち点で並んでも得失点差をひっくり返すことは不可能だった。延長戦に入った時点で浦和の降格は決まっていたのだ。この情報が伝わった瞬間、スタジアムは悲鳴に包まれた。
試合は延長後半1分に、福田がVゴールを決めて勝利。その直後、チームメイトの池田学が笑顔で抱きついたが、福田は怒ったような表情でこれを振り払った。試合後の囲み取材で福田は「こんなに悔しいゴールは初めてです」と言い、涙を浮かべた。のちに「世界で最も悲しいゴール」と呼ばれた所以である。
しかしこの時、最も悲しい思いをしたのは、福田に抱きついて振り払われた池田だったのではないか。試合後には降格が決まったことを知って泣きじゃくり、声をかけるのもはばかられた。帰り際にどうにか声をかけると「悔しいです…」と声を振り絞った。
福田は池田を振り払ったことについて「状況を把握していなかったことに腹が立った」と話していたが、あとでチーム関係者に話を聞くと、
「ルーキーの池田には試合に集中してもらうため、状況を伝えていなかった」
池田自身も後々、この時のことについて同様のことを話している。
チームにとって悲しいゴールとなったが、最もショックを受け、悲しい思いをしたのはやはり池田だったと思うのだ。
(升田幸一)