スクリーンの向こうに、格別の光を放つ女優たちがいた。やがて映画がフィルムではなくデジタルの時代になると、役目を終えたかのように姿を消した‥‥。
吉永小百合のファンが「サユリスト」であるのに対し、栗原小巻(73)には熱烈な「コマキスト」がいた。吉永に負けない美貌と演技力、さらに「忍ぶ川」(72年、東宝)などで脱ぐことも辞さない三拍子そろった女優だった。実は初めて一糸まとわぬ姿を披露した「忍ぶ川」も、誕生日が1日違いの吉永が断ったことで抜擢されたという“因縁”がある。
実力も人気もありながら、このところ、テレビや映画でトンと見かけないのはなぜか。
「映画中心の小百合とは対照的に、栗原は中年になって以降、舞台だけに専念しています。95年以降は自身の事務所で舞台制作も手がけ、『欲望という名の電車』や『愛の讃歌』といった名作に取り組んでいます」(演劇評論家)
まれに「徹子の部屋」(テレビ朝日系)などのトーク番組に登場することもあるので要チェックだ。
戦後初のグラマラススターだった京マチ子(94)は、06年の舞台出演を最後に、事実上の芸能界引退。出演した溝口健二監督「雨月物語」(53年、大映)がヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を、黒澤明監督「羅生門」(50年、大映)がアカデミー賞名誉賞に輝いたことから“グランプリ女優”と呼ばれた。
近年、表舞台に出ることはなが、14年にはピーターがハワイで合流したことを、17年には若尾文子が毎年、雑煮を一緒に食べていることを明かし、卒寿を超えてなお元気なようだ。
薬師丸ひろ子、原田知世とともに「角川三姉妹」と呼ばれたのが渡辺典子(53)。シャープな美貌は3人の中でもピカイチで、主演を飾った「いつか誰かが殺される」(84年、東映)などが印象深い。
ドラマやレコード、Vシネとフル稼働の活躍だったが、ここ10年ほどは大幅にペースダウン。事務所移籍を繰り返しながら、それでも女優業はごくわずか。現時点では16年の映画とドラマが最後である。
ここ5年ほど、事務所移籍のたびにインタビューを申し込んでいた。だが、どの事務所も決まってこう答えたものだ。
「まだ体調が万全ではないので」
一説には、自分の状況にイラだちを感じ、体調だけでない部分を含めた開店休業状態は、まだまだ尾を引く、とも──。
86年に映画「野ゆき山ゆき海べゆき」(ATG)で鮮烈なヌードを見せた鷲尾いさ子(51)は、ここ10年ほど原因不明の闘病が続いている。夫・仲村トオルが家事をこなし、単独での外出が困難であると13年に伝えられた。
18年11月30日に、仲村の育ての親である黒澤満セントラル・アーツ社長の告別式が執り行われたが、ここにも仲村の隣に鷲尾の姿はなかった‥‥。
大きな瞳が特徴的だった夏純子(69)は「第2の浅丘ルリ子」と期待され、主演作「不良少女魔子」(71年、日活)など、アクの強い役どころが目立った。人気もありながら81年、2度目の結婚とともに芸能界を去っている。
最後に、ベテランの大谷直子(68)は「肉弾」(68年、ATG)など、日本映画に輝かしい実績を残す。ところが57歳で悪性リンパ腫を発症し、一時は余命3カ月を宣告されるが、奇跡的に回復。
だが、再び災厄に襲われる。退院後に抗ガン剤の副作用で判断力が低下し、懇意にしていた写経の講師から泣きつかれるたびに100万円を計4回も振り込むという詐欺にあったのだ。大谷は裁判に勝利し、女優活動も限定的に再開させている。