年末年始は往年のヒット曲に触れる季節。一世を風靡した歌姫たちは、今頃どこで美声を披露しているのだろうか。
18年1月、「恋の奴隷」や「終着駅」のヒットで知られる奥村チヨ(71)が、こんなメッセージを発した。
〈デビュー以来、多くのヒット曲に恵まれ、さらに私が40代の時には『恋の奴隷』とともに、私のファッションも若い人たちに気に入っていただき、最高にハッピーでした〉
まるで小悪魔のようなエロチシズムは、世代を超えて愛された。それでも、と奥村は言う。
〈人生はいつも引き際が大事だと思い、本当は14年に母が亡くなった時に、もう完全に辞めようと思っていたのですが‥‥〉
ようやく、18年いっぱいで見切りをつけた。自身は去っても、名曲の数々は愛され続けるだろう。
その奥村や小川知子と「東芝3人娘」として売り出されたのが黛ジュン(70)だ。代表曲「天使の誘惑」は、68年の日本レコード大賞に輝いている。さらに、2度の結婚と離婚やロマンポルノ出演など、歌以外の部分でも世を騒がせてきた。最初の結婚相手はDVで、3度目の結婚を誓った作詞家は「イタコのお告げ」で婚約を解消されるという男運のなさも話題になった。
さらに黛は、兄である作曲家・三木たかしが09年に亡くなり、自身も喉の病気を発症して活動を大幅に縮小している。
75年の夏、無名の新人がチャート1位を独走する。小坂恭子(65)が歌った「想い出まくら」で、85万枚というメガセールスを記録。ニューミュージック系の自作曲だが、どこか演歌調なことも大ヒットにつながったようだ。
残念ながら「一発屋」に終わってしまい、シングルのリリースも30年以上のブランクがある。姿を消している間に難病説も飛び交ったが、地道なライブ活動は続けているようだ。
小坂は通称「ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)」の出身だが、その後輩に当たるのが石川優子(60)。ニューミュージック系では抜群のビジュアルを誇り、81年には「シンデレラサマー」が、84年にはCHAGEとのデュエット曲「ふたりの愛ランド」がベストテン入りのヒットを飛ばした。
ちなみに週刊アサヒ芸能連載中の笑福亭鶴光師匠は、デビュー間もない石川が番組アシスタントとなり、「象の足」という、とんでもないニックネームをつけている。
そんな石川は90年に歌手業を引退し、結婚・出産。16年春にポプコンの同窓会ライブに参加し、26年ぶりの歌声を披露した。
さて、10年の紅白で異彩を放ったのは、植村花菜(35)が歌った「トイレの神様」だった。亡き祖母との思い出を歌にしたものだが、植村は「9分52秒をフルサイズで歌いたい」と主張。これにかみついたのが紅組常連の和田アキ子。
「歌手やったら誰でもカットせずに歌いたいんや!」
結局、植村の主張も認めつつ、7分50秒に縮めることで決着がついた。
その後、出産による休業などを経て、現在は「Ka-Na」名義で活動を再開している。
最後に紹介する門あさ美(63)という幻のシンガーをご存じだろうか。18年に亡くなったことが発表された森田童子もミステリアスな存在だが、彼女はさらにそれを上回る。
なにしろレコードは出すものの、ライブはやらない、テレビにも出ない。やむなく出演した時には、画面に薄いフィルターをかけるという徹底ぶり。それでいてジャケットには美しい顔が堂々と載り、アルバムはコンスタントにヒット。
その活動は87年で終わったが、当時のアルバムは今も高値で取り引きされている。