平成の30回にわたる春の選抜決勝戦で、延長戦にもつれこんだ試合は3試合。その中で最も激闘となったのが2010年の第82回大会。日大三(東京)対興南(沖縄)の一戦であった。
日大三は準決勝までの4試合で脳腫瘍を克服した左腕エース・山崎福也(オリックス)が14失点とやや安定感を欠くものの、それをカバーするように打線が奮起し、計41得点と圧倒的な攻撃力で勝ち進み決勝戦へと進出。対する興南は初戦、2回戦と二ケタ奪三振をマークした“琉球トルネード左腕”島袋洋奨(福岡ソフトバンク)を中心に、打線もつながりを発揮して強豪ばかりを倒しての晴れの舞台であった。そして、両校の戦いぶりから当然、勝負を決めるポイントとして興南のエース・島袋と強打の日大三打線との対決に注目が集まったのである。
だが、試合は興南にとってまさかの展開で幕を開けることに。ここまでの4試合でわずか3失点と安定していた島袋だったが2回、制球を乱し、2四球を与えるとエラーも絡んで2死満塁のピンチに。するとここで島袋が一塁へ牽制悪送球。日大三が労せずして2点を先制し、島袋は続く3回裏にも3番・平岩拓路に中越えのソロアーチを被弾し、早くも3点差をつけられてしまったのである。この大会で興南が序盤で3点差をつけられるのはもちろん初めてのケース。逆に日大三は不安視されたエース・山崎が被安打2、4奪三振と上々の立ち上がりを見せており、序盤戦は完全に日大三のペースであった。
それでも、興南は不調のエースを打線が助ける。5回表に2死満塁から1番・国吉大陸の左前適時打でまず1点を返すと、6回表にはまたも2死満塁の場面を作り、ここで島袋みずからが左中間への適時二塁打、さらに9番・大城滉二(オリックス)が中前適時打を放ち、一挙4得点。5‐3と一気に試合をひっくり返したのであった。
だが、打ち合いなら日大三もお手のもの。直後の6回裏に途中から出場の8番・大塚和貴が右中間にソロを放ち1点差とすると、9番・鈴木貴弘と1番・小林亮治の連続長短打であっという間に5‐5の同点としたのである。
すぐに次のチャンスは興南に訪れた。7回表に無死二塁、しかもここで迎える打順は3~5番というクリーンナップだった。が、このピンチの場面で日大三の山崎が踏ん張る。ここから左飛、一ゴロ、投ゴロに仕留め、勝ち越し点を許さなかったのだ。するとここから試合は一転、投手戦へと突入。5‐5のタイスコアのまま、延長戦へと突入していった。
試合は両投手よるガマン比べの様相を呈していた。そして迎えた延長12回表、好投する日大三・山崎についに疲れが見え始める。1死を取ったものの、4番・眞栄平大輝の一ゴロをベースカバーに入った際に、落球する痛恨のミス。さらに続く5番・銘苅圭介に対しボールが先行し、2ボールとなったところでついに降板。2番手として遊撃手の吉沢翔吾がマウンドへ、粘投の山崎が一塁へ回ることに。が、明らかに準備不足だった吉沢はこの後、2者続けて四球を与え満塁としてしまう。この絶体絶命の場面でさらに日大三に負の連鎖が。興南は途中出場の7番・安慶名舜が三ゴロに倒れたかと思われたが、なんとここで三塁手の横尾俊健(北海道日本ハム)が本塁へ手痛い悪送球。興南が思わぬ形でついに勝ち越し点を奪ったのである。興南はさらに8番・島袋が適時二塁打を放つなどこの回一挙5得点。島袋はその裏の日大三の反撃も許さず、10‐5で試合終了。死闘を制し、みごとに栄光をつかんだのであった。
この優勝は春夏の甲子園を通じて同校史上初。沖縄県勢にとっては99年と08年の沖縄尚学の春選抜V2に続く3度目の全国制覇でもあった。興南はこの年の夏、さらにチーム力を強化してふたたび甲子園に戻ってくることに。そして史上6校目となる春夏連覇の偉業を達成することとなるのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=文中敬称略=