アイドルアナの歴史は平成が始まる前年、88年に種が蒔かれた。有賀さつき、河野景子、そして八木亜希子のいわゆる“花の三人娘”のフジテレビ入社がこの年。種は平成に入って大きな花を咲かせることになる。
「有賀はお嬢様風のルックスとは真逆の天然ボケキャラでバラエティ専門アナウンサーに。『旧中山道』を『いちにちじゅうやまみち』と誤読したという伝説(※のちに元フジテレビアナの山中秀樹氏が上岡龍太郎氏のツッコミによって生まれた伝説であると一部修正)は語り草です。昨年1月に52歳の若さで亡くなったのは残念でなりません。先日、貴乃花と離婚した河野は、週刊誌の表紙やファッション誌の読者モデルとしても活躍。『ミス・ソフィア』の美貌を生かし報道のエースに君臨しました。そして報道、情報、バラエティとオールラウンドに担当し、94年から『めざましテレビ』の初代女性メインMCを担当したのが八木です。明石家さんまの寵愛を受け、フジの看板女子アナとして90年代を駆け抜けました。この3人の人気は単なる女子アナという枠を越え、社会現象と呼べるものでしたね」(週刊誌記者)
とはいえ、この3人もいきなり「アイドルアナ」になったワケではない。当時のフジにはその下地がすでに整っていた。
まず手始めは80年入社の山村美智子である。山村は81年に始まった「オレたちひょうきん族」の人気コーナー「ひょうきんベストテン」のサブ司会を担当。お笑い芸人相手にボケて突っ込まれるというパターンを作り出した。その結果、“ひょうきんアナ”として人気を博した。
「当時、テレビ局のアナウンサーは報道番組でニュースを読むことが仕事であり、バラエティ番組に出演することはなかった。ところが、山村によって、女子アナがタレント化していく流れが次第にできました」(前出・週刊誌記者)
さらに88年には中井美穂(87年入社)が「プロ野球ニュース」のメインキャスターに就任。番組史上初の女性メインキャスターとなり、女子アナ人気を確立させたことも大きい。中井は89年には月9ドラマ「同・級・生」に出演し、話題をさらった。
そんな状況の中での先の三人娘のフジ入社だったのである。ひょうきんアナで女子アナタレント化の先鞭をつけ、中井でその基礎をキッチリと固め、3人娘で一気に勝負をかけたのがフジの戦略だったのだ。
そして91年入社の近藤サトと中村江里子、92年入社の小島奈津子や西山喜久恵と有望な新人を採用。フジは盤石な女子アナ王国を築いていった‐。