フジの独走に待ったをかけるべく、敢然と戦いを挑んだ局があった。日本テレビである。その中心にいたのが永井美奈子だ。
永井はフジの三人娘と同じ88年入社組。92年春にスタートした朝の情報番組「ジパングあさ6」のメインキャスターに起用されたことで一気にブレイクした。
「早朝にもかかわらず視聴率は最高で16.5%を記録。あまりの人気に局では後輩アナの米森麻美(89年入社)と薮本雅子氏(91年入社)とのトリオで『DORA』という歌手ユニットを結成。93年にはCDデビューし、絶大な人気を獲得しました」(芸能記者)
図式はまさに逃げるフジに追う日テレ。だが、この戦いを横目に観ていた他局にもアイドルアナとなる人材が現れ始める。特にTBSには89年入社の福島弓子、90年入社の渡辺真理、そして93年入社の雨宮塔子が頭角を現し、90年代のTBSを支えた。
90年代半ばになると、永井美奈子ら女子アナブームの中心的人物が次々とフリーへ転身し、一つの時代が終わりを告げた。そこから94年入社組によって「第2次アイドルアナ」の時代が到来する。第2次はフジの一局集中とはならず、他局にもアイドルが存在した。
「その一人がNHKの久保純子です。彼女は96年に大阪放送局から異動すると、いきなり『NHKニュース11』のスポーツコーナーに抜擢される。そこでNHKアナとは思えぬ読み間違いを連発。視聴者にはこれが逆に新鮮に映ったのか、NHKでは珍しくアイドルアナウンサーと称され“クボジュン”の愛称で親しまれました」(週刊誌記者)
TBSでは福島弓子~渡辺真理~雨宮塔子と続く系譜の中で進藤晶子という大型新人が現れる。
「彼女は入社2年目の95年から深夜番組『ランク王国』の司会を担当。ここで披露したアニメのキャラの扮装姿で一躍注目の的となりました。アイドル的人気を得た彼女は、97年秋に満を持して『筑紫哲也NEWS23』のスポーツキャスターに起用され、局を代表するスポーツアナとなっていきます。さらに、久保と進藤の2人のスポーツアナに対抗するように、フジに現れたのが木佐彩子。バラエティ番組の印象が強い彼女ですが、96年4月から00年3月まで『プロ野球ニュース』のキャスターを務めるなど、90年代後半は木佐なくしてフジは語れない状態でしたね」(前出・週刊誌記者)
そして、00年代に突入すると「女子アナ」はさらなる進化を遂げる──。