歴代天皇の中には推古天皇同様、圧倒的なリーダーシップを発揮、時代を動かした人物は少なくない。その一人が1333(元弘(げんこう)3)年、北条を討って鎌倉幕府を滅亡させた第96代の後醍醐(ごだいご)天皇、その人だろう。1318年(文保(ぶんぽう)2)、31歳で即位した後醍醐天皇はまず父・後宇多法皇(ごうだほうおう)(第91代天皇)を説得、天皇による親政を実現し、これにより院政が終焉した。さらに、鎌倉幕府に批判的な武家や地方の豪族を味方につけ、二度にわたって討幕計画を進めたが、いずれも失敗。天皇位を廃位されて流罪になってしまう。
だが、後醍醐天皇はへこたれなかった。不屈の魂で島流しされた隠岐の島から脱出。足利尊氏らの協力を得て北条を討ち破り、鎌倉幕府を滅亡させ、天皇中心の朝廷による政治体制を実現させたのである。
高森氏は「後醍醐天皇が二度の島流しにもめげず鎌倉幕府を倒したという歴史的事実が、幕末の時代変革のエネルギーになった」と指摘する。
「嘉永6年にペリーが来航し、それからわずか15年後、明治元年を迎えるわけですが、この短期間に世の中が大きく変わった背景にはむろん幕末の志士たちが藩を超え、日本国家全体のために奔走した力があった。その時彼らを励ましたのが、一度ならず二度まで島流しにあってもなお、へこたれずに鎌倉幕府を倒したという事実だった。つまり、明治維新の精神的な源流には後醍醐天皇による鎌倉幕府の討幕があったといえるのではないでしょうか」
高森明勅(たかもりあきのり)氏プロフィール:昭和32年、岡山県生まれ。國學院大學文学部卒。神道学・日本古代史専攻。日本文化総合研究所代表。著書に『この国の生い立ち』(PHP研究所)、『天皇から読みとく日本』(扶桑社)、『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)、『私たちが知らなかった天皇と皇室』(SBビジュアル新書)ほか多数。