●ゲスト:PANTA(ぱんた) 1950年、埼玉県生まれ。1969年、TOSHI(パーカッション)とともにロックバンド「頭脳警察」を結成。72年のデビューアルバムは発売中止、続くセカンドアルバムも3曲が放送禁止になるも、オリジナリティあふれる政治的な歌詞と過激なライブパフォーマンス、多様な音楽性で大きな注目を浴びることに。75年の解散後は、ソロ、「PANTA&HAL」として活動。また荻野目洋子、チェッカーズ、沢田研二など多くのミュージシャンへの楽曲提供・プロデュースを手がける。俳優としても「稲村ジェーン」(90年)、「カムイ外伝」(09年)、「沈黙─ザ・サイレンス」(17年)などの話題作に出演。今年結成50周年を迎えた頭脳警察は、5月25日/京都磔磔(亜無亜危異とのツーマン)、5月26日/四日市CLUBROOTS、7月6日/渋谷La.mama(フラワーカンパニーズとのツーマン)ほか、現在アニバーサリーライブ・イベントを開催中。
過激な曲とパフォーマンスで数多くの伝説を築き上げてきたロックグループ「頭脳警察」のボーカリスト・PANTA。天才テリーと火花散るバトルが勃発か!?と思いきや、実は2人は同い年。通過してきた文化や趣味がみごとに重なり、トークは始まるなりアクセル全開!
PANTA いや、お会いしたかったんですよ。こんな機会をいただけて、うれしいですね。
テリー こちらこそ。僕とPANTAさん、同い年ですものね。だから、シンパシーをすごく感じているんですよ。でもね、僕はPANTAさんとまったく立ち位置が違う気がして。
PANTA 何がですか?
テリー だって、大学生の頃の僕って加山雄三さんの「君といつまでも」とか、ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」みたいな歌が好きだったんですよ。
PANTA 俺はシモンズが好きでしたね(笑)。
テリー そこへPANTAさんが頭脳警察でデビューするじゃないですか。もう詞と音楽のセンスに驚いちゃったわけですよ。「同じ年で、先鋭的なカッコイイ音楽を作っている」っていうのは、肌で理解できるんですよ。でも、それを咀嚼できない自分の弱さみたいなものを当時感じていました。どうして、こんなにとがった音楽を、あの若さで生み出すことができたんですか。
PANTA 何なんでしょうね‥‥やっぱり育った環境なんでしょうか。自分の親父は、アメリカ軍の所沢基地勤務だったんですよ。そこの軍曹がハーモニカで吹いてくれた「ケンタッキーの我が家」が音楽の原点なんですよ。小学生の時にはエルビス・プレスリーの初期音源をあさっているような子供でしたから。
テリー ハハハハ、そんな子供、当時いませんよ。えらく早熟ですね。
PANTA 14歳でビートルズと出会い、その後はストーンズ、アニマルズ、そして18歳でブルースにハマっちゃうんですね。でも、稚拙な頭なりに「このブルースってやつは、極東のガキがやっちゃいけないものだ」と思って、捨ててしまったんですよ。
テリー やっちゃいけないっていうのは?
PANTA アメリカ・黒人の歴史に根づいた音楽ですからね。形だけまねてもしょうがないわけです。自分には、自分の言葉で伝えたいことがありましたし、それは日本語で歌いたかったから。
テリー それってその頃、学生運動をしていたことも関係あるんですかね。
PANTA テリーさんもですよね? 僕が入った関東学院大学は、ラグビーと赤軍派で有名でしたから、ヘルメットをかぶって火炎瓶を投げて、「戦車輸送阻止!」なんて言って、相模総合補給廠から横須賀まで戦車輸送しているのを、国道16号線をバリケード封鎖して、邪魔したりしていました。でも、その戦車輸送の指揮をしていたのが、実は親父だったんですよ。
テリー ワハハハ、すごい話じゃないですか!
PANTA あとで「てめえ、CIAを舐めるんじゃねえぞ!」って怒られたんですが、そんな説教を食らう家庭なんて、めったにないですよね(笑)。