「は~い、BCGの皆さんがいらっしゃいました」
黒柳徹子のジョークによる出迎えが恒例となった。メンバー全員を焼き肉に連れてゆくなど、息子のようにかわいがってもらったと笠は言う。
やがてC‐C‐Bは新曲発売のたびにランクインし、どこかコミカルな面もあったため、ロケには過酷なものが増えてきた。たとえばメンバーの関口が教習所に通っているとの情報に、免許を持っている笠がそこで運転をしながら、ヘッドセットのマイクで歌うという演出もあった。
「なぜか僕が高いところに上がるという設定も増えてきたんですよ。最初は富士サファリパークからの中継で、僕だけ気球に乗せられて、上空から歌ったこともありましたね。さすがにドラムはなくてカラオケ仕様でしたけど、風が強くて、ヒヤヒヤしながら歌っていました」
アイドル並みの人気を獲得したC‐C‐Bは、曜日ごとに各局の歌番組をかけ回り、多忙をきわめる。自分を見失いかねない日々に、人間恐怖症に近い感覚も味わったという。
また本来はドラマーである笠が、立て続けにメインボーカルの座であることも葛藤につながった。
「ドラムを叩きながら1曲を歌うと、どうしてもステージで息切れしてしまう。それは見せてはいけない部分だったと思います。それに、本来は渡辺や関口のポジションだったものを、たまたま僕が歌って売れたことでメインを続ける形になった。バンドとしては尾を引くし、関口が最初に独立したのも仕方がなかったと思います」
再び「ベストテン」の話に戻ろう。番組では年に約1回、50回ごとの節目に地方での公開特番を企画していた。その400回記念は85年10月17日、静岡が舞台だったが、何かとエピソードの多い回となった。
まずゲストのアン・ルイスが歌う「六本木心中」(84年10月)には、ヘリコプターが日本平に進入するような角度で空撮する。その興奮のままに第2位の「雨の西麻布」(85年9月)を歌ったとんねるずには、ファンが殺到して乱闘に近い状態となった。
そして1位がC‐C‐Bの「Luckey Chanceをもう一度」(85年8月)だったのだが──、
「1位ということで僕のドラムセットごと、かなりの高さまでクレーン車で吊り上げられたんですよ。さらに特番の1位のお祝いということで、ものすごい量の花火とスモーク。爆音もすごかったし、僕の姿はテレビではほとんど見えませんでした」
笠は苦笑しながらも、どこか懐かしそうに言う。番組スタッフがケタ外れの情熱を持って“仕掛け”に臨んだ形だったのだ。
その1年後、450回記念特番は長野県松本市で開催された。この日の1位を飾ったのは、デビューしたばかりの石井明美が歌う「CHA‐CHA‐CHA」(86年8月)だった。