09年第91回夏の選手権大会を制覇し、史上最多となる夏の甲子園7回目の優勝を果たした中京大中京(愛知)。決勝戦での日本文理(新潟)との一戦は10‐4で迎えた9回裏2死から相手打線が球史に残る猛反撃を見せ、結果的に辛くも中京大中京が10‐9で逃げ切った一戦として野球ファンの間で広く知れ渡っているが、それ以外の試合で同校が最も苦戦したのが2回戦。第6回夏の選手権王者でもある古豪・関西学院(兵庫)との一戦であった。
この大会、エースで4番の堂林翔太(広島東洋)を中心にした強力打線で優勝候補の一角に挙げられていた中京大中京は1回戦で龍谷大平安(京都)を5‐1で一蹴。その自慢の打線がこの日も好調だった。1回裏1死から2番・国友賢司が四球、3番・河合完治が右前打を放って一、二塁とすると、ここで4番・堂林がレフトへ適時二塁打し、いきなりの2点先制。相手の出ばなをくじいたのだ。エース・堂林に代わって先発した2年生左腕・森本隼平も幸先の良い立ち上がりを見せていた。
だが、打線がひと回りした3回表。中京大中京は関西学院の反撃にあい、1死球に3安打で同点とされてしまった。さらに5回表には2死無走者から森本が四球、二塁打、四球で2死満塁の大ピンチ。慌てて中京大中京ベンチはエース・堂林を投入するも、その堂林が押し出しの四球を与えてしまう。
さらにその間、自慢の強力打線がまったく得点を奪えない。実は関西学院は1回途中から身長165センチと小柄な山崎裕貴をマウンドに送っていた。山崎はその年の5月から投手を始めたばかりで本職は捕手。この日も捕手として先発出場し、途中からリリーフに立ったのだが、中京大中京打線にヒットは許すものの、決定打を与えなかった。軟投派だったこともあるのだろう。中京大中京の筋骨隆々な各打者たちにとっては打てる気がしてしまい、ボール球にも手を出して、おもしろいように打ち取られてしまっていたのだ。
なんとか反撃したい中京大中京打線が山崎を捕らえたのは6回裏だった。2死一、二塁のチャンスから途中出場の9番・若月宥磨が左前適時打を放って同点に追いつく。続く7回裏には1死後に3番・河合が中前打で出塁し、二盗。2死後に5番・磯村嘉孝(広島東洋)の左前適時打でついに勝ち越しに成功する。
こうなれば試合は中京大中京ペース。関西学院にもう一度試合をひっくり返す力は残っていないと思われた。しかし、そんな関西学院を後押ししたのが、地元の代表校を応援する甲子園の大歓声だった。その雰囲気に飲み込まれたのか、堂林は先頭の2番・窪大介に四球を与えてしまう。続く3番・山崎に簡単に犠打を決められると、4番・高馬啓城にライト前へ運ばれ、1死一、三塁とさらにピンチ拡大。そして、ここで打席に入った5番・黒木秀太にレフトへの犠牲フライを打たれ、土壇場で追いつかれてしまったのである。
なおも堂林は2本の内野安打を許し、2死満塁の大ピンチを背負ってしまった。それでも、ここで次打者を中飛に打ち取り、勝ち越し点を許さなかったのが、この大会、チームを優勝に導いた堂林の真骨頂だったと言える。
そして、唐突に幕切れが訪れる。その裏1死から打席に入ったのは、この日、ここまで3安打と絶好調の3番・河合。その河合がレフトスタンドにサヨナラソロを叩き込んだのだ。これこそが強豪校が持つ真の底力であった。逆に大番狂わせを演じ損なった関西学院。もし、この試合に勝利していれば、この大会の“台風の目”となっていたかもしれない。
こうして思わぬ伏兵に苦戦しながらも、接戦を制した中京大中京はこの後、危なげなく勝ち進み、みごとに43年ぶり7度目となる夏の甲子園優勝を果たすこととなるのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=