平成の強豪・智弁和歌山にとって2009年の第91回夏の選手権はとても重要な大会となった。この大会で3勝すれば、チームの指揮を執る高嶋仁監督の甲子園春夏通算勝利数が59勝となり、これまで1位だったPL学園(大阪)の元監督・中村順司が持つ58勝を抜いて、歴代最多勝監督となるからだ。
注目の初戦は左腕エース・岡田俊哉(中日)が滋賀学園相手に13奪三振、わずか2安打しか許さない快投で2‐0の完封勝利と上々の発進。だが、最多タイ記録がかかった2回戦の札幌第一(南北海道)戦で思わぬ苦戦をしいられるのである。
その最大の原因が、チームの大黒柱であったエース・岡田にあった。夏の和歌山県予選で32回3分の1を投げて44奪三振無失点。甲子園の初戦でも余裕の完封勝利を飾った左腕がこの日は思わぬ不調。
1回裏こそ3者凡退に抑えたものの、続く2回裏。先頭の4番・松浦昌平に死球を与えると、5番・富田嘉樹の送りバントを間に合わない二塁へ投げてフィルダースチョイス。ピンチを拡大してしまう。ここから岡田の歯車が狂い始め、その後二、三塁とされると、みずからの暴投で1点を献上。この夏の初失点を喫してしまったのだ。さらに7番・坂本優樹に適時内野安打を打たれ、この回2失点。
だが、そんな不調のエースを打線が援護。直後の3回表。2死一、二塁とすると、2番・岩佐戸龍が中前適時打を放ち1点。さらに左手を骨折しながらも強行出場した3番・西川遥輝(北海道日本ハム)が右前に運ぶ。この2年生コンビの連続適時打でたちまち同点としたのだ。だが、西川の安打で二塁走者だった岩佐戸は一気に逆転のホームを狙ったが、札幌第一の好守に阻まれ本塁で憤死してしまう。
こうなるとゲームの流れは札幌第一へ。その裏に先頭の2番・畑洋匡に二塁打。その後は2者連続三振を奪うも、5番・富田に左前適時打を浴び、アッという間に1点を勝ち越されてしまった。続く6番・掛端亮治にも右前に運ばれるが、ライトを守っていた西川が矢のような返球で走者を刺し、岡田を助ける。
それでも岡田の苦しいマウンドは続く。4回裏にも走者2人を置き、打席には2番・畑。この畑に右中間を破られ、この回も2失点。前半戦で2‐5と3点のリードを許してしまったのである。
一方、強打が自慢の智弁和歌山だったが、この日は5回を終わってわずか3安打と押さえ込まれていた。実はこの年の打線はスタメン9人中5人が2年生と若く、例年に比べて破壊力不足であった。そんな小粒な打線がようやく反撃を開始したのは終盤7回表。1死からの長短打などで1点を返し、なおも1死一、三塁。ここで9番・2年生の城山晃典に代わって代打に主将の左向勇登が登場。するとこの左向が3年生の意地を見せる中前適時打。4‐5とついに1点差に迫ったのだ。
そしてこの打線の追撃に背中を押されたエース・岡田がついに目覚めた。5~7回までで許した安打はわずか1。4奪三振と本来の投球を完全に取り戻したのである。8回裏も2つの三振と一ゴロで簡単に3者凡退に抑えた。最終回の攻撃に弾みをつけるナイスピッチングである。
迎えた土壇場の9回表。先頭の7番・北畠良真が左前打で出塁した1死二塁から控えの3年生・喜多健志郎が代打で打席に立つと、左中間を割る適時二塁打。とうとう同点に追いつく。さらに満塁として打席には3番・西川。この西川が負傷した左手をかばうように右手1本で右翼線へ打球を運ぶ勝ち越し2点適時二塁打。その勝負強さを見せつけたのだった。
この回、さらに左犠飛で1点を追加した智弁和歌山はエース・岡田がその裏の相手の攻撃を3者凡退で抑えて勝利。恩師・高嶋仁監督に甲子園最多勝利タイとなる58勝目をプレゼントしたのである。まさにチーム全員の総力戦による勝利であった。
しかし、続く3回戦。監督の甲子園単独最多勝利を狙ったチームは、都城商(宮崎)の前に1‐4で無念の敗退。偉業達成は2年生・西川を中心とした新チームに引き継がれることに。そしてその新チームはみごと、この翌年の春選抜で高嶋監督に59勝目を届けることとなるのである。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=