審判がまず頭に叩き込まなくてはならないのが投手です。球種、クセ、モーションと球団のスコアラーよりも詳しくなります。
そんな私の中で最も強く印象に残っている投手は、ヤクルトの伊藤智仁投手でした。あの野村克也監督が「江川2世やな」と入団1年目のキャンプの際に絶賛したほどの逸材でした。
150キロを超えるストレートも天下一品でしたが、ストレートはどんなに速くても目が慣れてくれば、確実にストライク・ボールを見極められます。
ところが、やっかいなのが伊藤投手の高速スライダーでした。打者の手元で滑るように真横に変化する。まさに、消える魔球でした。
バッテリーを組んでいる古田敦也捕手でさえ、「キャッチャーだからまだ捕ることはできるけれど、あの球を打者として、打てと言われたら、絶対に無理だ」と語っていたほどです。
私も伊藤投手が投げる時、投球練習ではバッターボックスがある真横から、球筋と古田捕手が捕球する角度を確認しないと、安心できないほどでした。
そんな伊藤投手が投げると、試合もさくさく進みますが、なぜか、延長12回を裁いた時よりもはるかに疲れる気がしたものです。
当時、審判たちをきりきり舞いさせたのは、選手だけではない。審判の判定は絶対であり、抗議は許されない。しかし、監督たちの個性的な抗議は名物でもあった。
巨人の長嶋茂雄監督は私が記憶しているかぎり、一度もストライク・ボールやアウト・セーフで抗議を受けたことはないですね。本当に天真爛漫で、簡潔に言うとセコくないのです。
一方、王貞治監督は抗議の場面でも実に冷静。「なぜアウトなのか」と論理的な説明を求めてくる。だからこちらも、「半歩遅れています」と他の監督以上に理路整然と説明するようにしていました。乱暴な言葉で抗議されれば、「退場」という言葉も思い浮かびますが、王さんはそうならない。審判心理をついているとも言えますが、王さんの冷静で実直な人柄のためでしょう。
野村監督も乱暴な言葉は使わないが、あの“ボヤキ”には困らされましたね。ヤクルト監督時代に、何度もネチネチとやられました。言葉尻を捕まえるのはお手のもの。しかも、執念深さも相当なもので、前日の試合ばかりか、こちらが忘れているような数週間前の出来事まで持ち出してくる。そんな野村監督への対処方法が、「今日のご機嫌」なんです。野村監督は機嫌がいいと、「篠宮さん」と呼んでくれるんですが、機嫌が悪いと「おい、アンパイア」ですから。こういう時は要注意です(笑)。