人気低迷が叫ばれて久しい日本球界。有力選手のメジャー流出、3連覇を逃したWBC、今季も開幕前から人気凋落に拍車がかかる出来事が続いた。あの夢中になった球場の光景はどこへ行ってしまったのか──。再び球界に輝きを取り戻すべく、元審判員が間近に見た「スーパースター」たちの秘話を激白した。
91年4月16日、この日は忘れられない1日です。審判員となり、初めて一軍公式戦で球審を務めたのですからね。神宮球場の「ヤクルト対中日」戦でした。そんな記念日を忘れられないものにさせたのは、当時の中日の4番打者、落合博満選手のひと言でした。
試合開始直後こそ、私も緊張でガチガチでしたが、回を追うにつれて余裕も出てきました。落合選手が並の選手ではヒットにできないであろうコースをみごとに打ち抜く姿に、さすが大打者だと感心もしました。
そして、迎えた落合選手の最終打席。フルカウントからのアウトコース低めのストレート。落合選手は悠然と見逃しましたが、私は自信を持って「ストライク」とコールしました。
すると、落合選手は大きく息を吐き、
「篠、ボール半分低いぞ」
とひと言だけ言って、抗議もせずに退いたのです。むろん、判定には自信はあります。しかし、目の前で超一流のバッティングを見せられた大打者に判定を否定された。これは、私の心に重くのしかかりました。審判を続けるには、「誰にも否定されない判定をしなくては」と誓ったものです。
そのあと現れた天才打者のイチロー選手。落合選手とは違うタイプのバッターでした。イチロー選手がオリックスに在籍していた頃、私は横浜のキャンプに帯同し、そのままオープン戦「横浜対オリックス」の球審を務めたのです。
イチロー選手の第1打席、1球目、斎藤隆投手が投じたインコースのストレート。私は「ストライク」とコールした瞬間、“やばい”と思いました。ボール1個分ぐらい外れていたのです。
しかし、見逃したイチロー選手は前を向いたまま、
「いっぱいですか?」
と聞いてきたのです。私も「そうだ」と答えました。
その会話を聞き逃さなかったのが谷繁元信捕手でした。次も、まったく同じコースを要求したのです。見逃されたらどうしようと思った瞬間、イチロー選手はその球をライト線いっぱいに入る二塁打にしたのです。
瞬時に、相手(審判)のストライクゾーンに合わせる技術を持ち合わせていたのです。これには驚きました。
プロ野球選手同士がせめぎ合う現場に最も近い場所にいる審判。篠宮愼一氏は82年から97年までの16年間をセ・リーグ審判員として、多くの現場をジャッジしてきた。今回、「誰も知らないプロ野球『審判』というお仕事」(小社刊)を上梓し、常に“10割打者”のような正確な判定を求められる過酷な職業の内幕を描いた。今回はペナント開幕を記念して、審判独自の視点でスター選手の実像を語ってもらった。