甲子園初出場からの連敗記録は現在、盛岡大付(岩手)の9連敗が最多。だが、この盛岡大付が抜くまで、海星(長崎)と並ぶ1位タイの7連敗をマークしていたチームがある。山口県の県立高校・岩国だ。
その不名誉な記録がようやくストップしたのが2003年の第85回夏の選手権。初戦の羽黒(山形)戦に6‐0で勝ち、71年第43回春選抜で初めて甲子園に登場して以来、実に32年越しの悲願を達成したのだ。
だが、初勝利の余韻に浸れたのも束の間だった。2回戦で「強敵中の強敵」との対戦が決まってしまったのだ。この春の選抜優勝校の広陵である。西村健太朗(元・読売)‐白濱裕太(広島)の超高校級バッテリーに俊足好打の1番・上本博紀(阪神)、そして1年生ながらその素質を買われてベンチ入りした藤川俊介(阪神・登録名は俊介)などタレントぞろい。もちろんこの大会の優勝候補筆頭。当然のように岩国の大差負けに終わるというのが戦前の予想だった。
試合は1回裏、広陵はトップの上本がショート強襲ヒットで出塁し、いきなり盗塁を決めると送りバント、中犠飛で電光石火のごとく先制点を挙げる。ここから広陵打線が爆発する…と、誰もがそう思っていた。だが、試合は意外な展開を見せる。
2回表、岩国は先頭の5番・村重孝治が右前打で出塁すると6番・津山淳史が死球。ここで7番・中柴翔吾が定石通り送りバントを決めるが、なんと西村が一塁へ悪送球してしまい、たちまち同点に。さらに3回表には3番・藤田晃弘の右中間突破の二塁打から2死一、二塁とすると6番・津山の適時二塁打でなんと勝ち越しに成功したのである。
このまさかの展開に、ようやく広陵打線が目を覚ます。4回裏、先頭の4番・白濱が二塁打で出塁すると相手エース・大伴啓太の暴投で三塁に進塁。このチャンスに5番・藤川の打球はショートへの内野安打となり、まず同点とする。さらに下位打線に2本の適時打が生まれ、最後は1番・上本の右前適時でこの回一挙に5得点。当然、これでここから本当に広陵ペースになるハズ…であった。
しかし、この日の岩国はしぶとかった。6回表、5番・村重からの3連打などで2点を返し、これで1点差。その裏、上本の2点適時三塁打で4‐7と再び広陵に3点差とされたが、次の7回表にこの試合、最大の勝負どころが訪れたのである。
それはこの回先頭の1番・太田尾尚博が四球、2番・松前優が右前安打し、3番・藤田が送った1死二、三塁の場面だった。ここで4番の大伴の打球はセンターからややレフト寄りの飛球となる。三塁走者がタッチアップするなら本塁で刺そうと狙った広陵のセンター・安井がなんとまさかの落球。これでまず1点を返すと、5番・村重もセンターへ弾き返し、1死満塁とチャンス拡大。この場面で打席にはこの日、2安打と大活躍の6番・津山。この津山がセンターオーバーの走者一掃適時3点三塁打を放ち、とうとう試合をひっくり返したのだ。
この逆転劇に広陵守備陣は動揺したのか、二塁を守る名手・上本が7番・中柴の二ゴロを間に合わない本塁に投げて岩国がさらに1点を追加。そして9回表にも広陵の内野守備が乱れて決定的な3点を加える。最後は岩国のエース・大伴が相手の反撃を許さず、試合終了。なんと12‐7で優勝候補を倒すというジャイアントキリングを成し遂げたのである。
実はこの伏兵の大金星の裏にはこんな話がある。
大会ナンバーワン右腕の西村に対し、岩国の河口雅雄監督は「まともにやったら打てない」と、各打者全員がバットをひと握り余して持ち、ベース寄りに立って外角球に食らいつく作戦を指示していた。これを知らない西村は2回に死球を与えてから大胆に内角を攻めることができなくなり、よけいにてこずることとなったのである。さらに得意の変化球の制球力が定まらず、真っすぐを狙われているとわかっていても、直球で勝負するしかなかった。その結果、外角に置きにいった球が致命傷となってしまったのだ。
この後、岩国は続く3回戦でも名門・福井商に12‐4で圧勝。準々決勝では強豪・桐生第一に4‐5と惜敗したものの、それはまさに甲子園初勝利からの大旋風であった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=