07年夏の選手権決勝は広陵(広島)と、まさかの佐賀北の顔合わせとなった。広陵は春の選抜でベスト8。前日の準決勝では選抜V校の常葉菊川(静岡)を降して堂々の決勝戦進出。片や公立校の佐賀北はこの大会、まったくのノーマークから進出。準々決勝では、優勝候補の帝京(東東京)との延長13回の死闘を制するなど“がばい旋風”と呼ばれるミラクル劇を次々に起こしてきた台風の目だった。
とはいえ、冷静な戦力分析をすればするほど圧倒的に広陵のほうが力は上。このチームからはその後、エースの野村祐輔、ショート上本崇司、サード土生翔平の3人が広島カープに、キャッチャー小林誠司が巨人に入団。それだけでもいかにエリート集団だったかがわかる。一方の佐賀北は雑草軍団。力の差は明白だった。
その見立てどおり、2回表に広陵が早々と2点を先制。さらに3回以降も毎回のように得点機に走者を進め、試合を優位に展開する。7回表には、この大会34回を投げて無失点を続けていた佐賀北のリリーフエース久保貴大から2点を追加し、4-0とリードを広げた。投げてはエース野村が7回を終わって被安打1、与四球2とほぼ完璧な内容。観客もテレビ視聴者も「佐賀北はよくここまで来たよ」と、もはや勝負は決まったかような会話を交わしていた。
しかし、10年近くたった今でも高校野球ファンの間で語られる瞬間が8回裏にやってきた。1死からエースの久保がこの日、チーム2本目となる左前打で出塁。続く代打の新川勝政は「ベンチで甘くなってきていたという話をしていた」という野村の内角スライダーをライト前へと弾き返した。すると3回裏以来のチャンスに球場全体も前のめりに。気がつけば聖地は一塁側の広陵アルプスを除き、ほぼ佐賀北への声援一色となっていたのである。
異様な雰囲気だった。無名の公立校への声援で揺れる甲子園に広陵の捕手・小林が「スタンドに飲み込まれた」と試合後にその異質空間を表現したが、最も浮き足立っていたのが、エース野村だった。打者も「ストライクだと思った」と発言するほど、後々まで議論となった疑惑のボール判定にも足を引っ張られ、続けざまに2者連続四球で押し出しの1点を与えてしまう。そして打席には佐賀北の3番、副島浩史を迎えるのである。
この大会の副島は決勝戦までに21打数7安打。打率3割3分3厘で2本塁打。広陵バッテリーは彼を徹底マークし、第1、第2打席はスライダー中心の攻めで連続三振を仕留めていた。だからこそ、副島は運命の打席も“スライダー狙い”。ストレートは眼中になかった。そして、3球目。前打者へのボール判定を引きずったままの野村の伝家の宝刀が、真ん中高めに入ってきた。それを逃さず反応する副島のバット。次の瞬間、鮮やかな逆転のグランドスラムがレフトスタンド中段に突き刺さった。
この後、野村は明治大学に進学、東京六大学野球で30勝を挙げ、プロ入りする。その過程でおのれに課した課題は“コントロール”。この佐賀北戦での敗戦を糧に、どんな時でもストライクが取れる制球力を武器にプロへと進んだのである。そして、今年はついに最多勝争い。広島を首位独走へと導く原動力となっているのだ。
(高校野球評論家・上杉純也)