大会前から特待生問題などで揺れた07年の第89回大会。この年の夏の甲子園を制したのは特待生制度とは無縁の佐賀北だった。
大会前の評判といえばどのスポーツ紙を見ても下から数えたほうが早かったほど。だが、そんなダークホースが快進撃を見せた裏には大会記録となった48個の四死球を選んだ“驚異の選球眼”が関係していた。
開幕試合で登場した佐賀北は福井商と対戦。3番・副島浩史の大会第1号ホームランが飛び出し2‐0で勝利したが、この試合では5四死球を選んでいる。続く2回戦の宇治山田商(三重)との一戦は4‐4のまま、延長15回引き分け再試合となった。その再試合では9‐1と圧勝したが、この2試合の合計24イニングで18個もの四死球を選んでいた。ナイターとなった3回戦の前橋商(群馬)との試合は7四死球を選び5‐2で勝利。準々決勝では強豪・帝京(東東京)と延長13回の死闘を繰り広げ、4‐3で劇的なサヨナラ勝ちを収めるが、この試合でも制球力には定評のあった帝京のエース・垣ヶ原達也から6個の四球を選んだほか、帝京の投手陣から合計9個の四死球を記録。さらに九州勢対決となった長崎日大戦でも5四死球を記録している。
そして迎えた決勝戦。相手はこの年の春の選抜ベスト8の強豪・広陵(広島)だった。だが、佐賀北は広陵のエース・野村祐輔(広島東洋)の前に放ったヒットわずか1安打。制球力もあり選んだ四球は2つだけとほぼ完璧に抑えられていた。試合も0‐4と敗色濃厚の気配が漂い始めていた。
だが、8回裏。佐賀北は1アウトからこの試合初の連打が飛び出し1アウト一、二塁と反撃のチャンスを作る。ここで野村から連続四球を選び押し出しの1点を返し1‐4。しかも押し出しとなったフルカウントからのボールはストライクにも見える微妙な判定であった。そしてこれが大会記録となる48個目の四死球だったのであった。そしてその直後に3番・副島の劇的な逆転満塁ホームランが飛び出すのである。副島はこの大会1号と最後のホームランとなる大会24号を放った選手となったのだった。
佐賀北が記録を作れた要因には引き分け再試合を含む2つの延長戦を戦い、初戦から決勝戦まで合計73イニングを戦えたことが挙げられる。この佐賀北が戦った73イニングは夏の甲子園史上、歴代最多イニングでもあった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=