社長として、長年の友人として苦渋の決断をした大崎氏。その4カ月後、百周年事業発表会見で「紳助にはいつか吉本に戻ってきてほしい」と発言。「最初から紳助を復帰させるつもりだったのか」と批判も受けた。
あの時も、あくまで「世間に許してもらえるのならばいつか」という前提で話したんですが、復帰という言葉だけが独り歩きしてしまった。世間からいろいろ言われるであろうこともわかっていましたが、それでも僕がどう思っているか、よくも悪くも吉本ってこういう会社ですよということを全社員、全タレントに向けて伝えておきたかったんです。
確かに会社としては難しいところで、本来なら規律違反をした人間を、身内でもバサッと斬っていた新撰組みたいにやらなければいけないんでしょうが、それをするには自分を律しないといけない。実際には、それができないんです(笑)。
そういう人間臭い部分も芸人さんの魅力の一つだとは思う。それに、吉本の社員や芸人さんは一つの家族のようなものですから、そこだけはバランスを取りながらも守っていかなければならない部分だと思っています。
つまり、紳助復帰はあくまで大崎氏の個人的な思いであり、会社として何かを決定していたわけではなかった。むろん、この間に大崎氏は、メールや電話などで紳助と何度か連絡を取っていたが、この時点で紳助本人の意向も聞いてはいなかったという。その後、昨年4月に週刊文春が直撃した際、紳助が語った言葉は「いま、自分の中で確定していることがふたつあります。もう仕事はしない。政治家にはならない。芸能界への未練は全然ない。もうやり尽くしたと思ってます」というものだった。
1年くらい前に、紳助から生きる気力をなくしているような、自殺でもしそうな暗い感じのメールが来たりしてましたから、そこは本当に心配でした。それで冗談交じりに「とりあえず本でも書いたらどうや? それとも京都花月のポケットミュージカルスで再デビューして前座からやるか?どっち選ぶ?」というメールを送ったりしました。
別にすぐ本を出す、本当に劇場に出るということじゃなくて、とにかく何かをやることで生きる目的みたいなものを持ってほしかったんです。あの時はメールのやり取りをしてるうちに、紳助から昔の軽口が戻ってきて少しほっとした記憶があります。