島田紳助の引退から1年8カ月が過ぎた。芸人として残した多くの伝説、そして鮮烈な散り際、今なお多くの人々の記憶に彼の言動は刻み込まれている。それゆえ、何度となく「復帰」の噂が飛び交い、そのたびに世間はざわついた。本誌はその核心を知る吉本興業社長を直撃。紳助の“引退劇の舞台裏”から“極秘復帰交渉”の全てが明らかとなった。
紳助の引退は、僕にとっても本当に苦い出来事でした。正直、寂しい思いもあります。確かに紳助は“お茶の間の顔”として許される一線は越えてしまったのかもしれません。だからこそ自分で芸能界を引退する決断をしたわけです。ただ、紳助は決して法を犯したわけではないし、これは本にも書いているとおり、もし“世間が許してくれるのならば”ですが、紳助にはいつか吉本に戻ってきてほしいと思っています。
こう話すのは吉本興業の社長・大崎洋氏(59)。ここ数年、芸能界で何かと話題に上ることが多いお笑い王国・吉本興業のトップにして、あのダウンタウンを育てた敏腕マネジャーとしても有名な人物だ。
先頃、大崎氏の一区切りの自叙伝「笑う奴ほどよく眠る 吉本興業社長・大崎洋物語」(幻冬舎刊)が発売された。大崎氏の吉本興業入社から現在までがつづられており、本人いわく、「まるで吉本新喜劇のようなドタバタの35年間」はまさに波乱万丈。80年代の漫才ブームの舞台裏からダウンタウンとの出会い、世間を騒がせたお家騒動の顛末まで興味深いエピソードが山盛りになっている。
その中でも注目を集めているのが、盟友・島田紳助との関係だろう。2人は漫才ブーム前夜に出会い、一昨年に紳助が芸能界を引退するまで、お笑いという世界で戦い続けてきた“戦友”とも言える間柄だ。
時には胸倉をつかみ合うケンカもあったけど、仕事を通じた信頼関係がありましたからね。
実は、紳助がコンビ解散を決めた時、竜助に伝えに行ったのも僕だったんです。竜助もわかっていたんでしょう。僕が切り出す前から「大丈夫、言わんでも、もうわかってるから。紳助にはいろいろ感謝してる。ほんまありがとうな」って、あの無口な竜助が1時間くらいしゃべり倒してたことをよく覚えてます。
皮肉なことに紳助が引退を決断した際、話し合いの相手となったのも他ならぬ大崎氏だった。
あの時は、持ち込まれた資料を会社で精査してから、紳助本人に話を聞きました。場所は東京本社の会議室。紳助は資料に書かれていたメールを読んで自分のものだと認めたうえで、『一緒に商売をするような仲ではなく、男と男のつきあいだった』と説明してくれました。その言葉は信じましたが、それでも会社としては何もしないわけにはいかなかった。
最後には、紳助が自分から引退を決めました。