先頃亡くなった、400勝投手の金田正一氏。残した偉業を褒めたたえる向きとは逆に、その時代背景を率直に指摘する記者もいる。
「プロ野球の歴史の中で、最も変わったのは、投手の起用方法と言われます。先発完投型が普通とされた昔に比べ、今は先発、セットアッパー、ワンポイント、クローザーと完全分業制。金田氏でさえ、先発での勝利数は268勝ですが、救援でも132の勝ちをあげている。また、1965年に巨人に移籍する前の3年間の勝利数は、62年=22、63年=30、64年=27でしたが、移籍後は、65年=11、66年=4、67年=16。これは、巨人の投手陣が豊富だったことに加え、当時の監督だった故・川上哲治氏のもと、積極的に投手の分業制を進めていたからです」(スポーツ紙記者)
昔は無茶苦茶な登板をさせていたものだ。たとえば、西鉄の鉄腕、故・稲尾和久氏などは年間42勝の記録を持っているが、その時の先発勝利数が24、救援勝利18で、実に78試合に登板している。
「金田氏の場合、強靭な体力を持っていたことは間違いありませんが、当時の国鉄という投手の頭数が足りない弱小球団にいたことが400勝の土台になっているとも言えます。一方、現在のような肩の消耗が気遣われる環境では、毎年、最多勝投手になるぐらいでなければ400勝どころか名球会にも入れない。そうした意味でも、現代のプロ野球の投手は、任された各ポジションごとでもっと評価されてもいいのではとも思います」(野球記者)
いずれにせよ、金田氏の400勝という数字は今後、日本プロ野球界においては出てこないだろう。
(蓮見茂)