度重なる膝の手術や腎臓ガンを克服しながら、数々の偉業を成し遂げてきた。いつしか「鉄人」と呼ばれるようになった、唯一無二の「絶対王者」がついにプロレスラーを引退する。5月11日のその日を前に、小橋建太が全てを語った。
昨年12月、NOAH両国大会のリングにスーツ姿で上がり、みずから引退を表明した小橋建太(46)。だが、その半年前までは、引退など考えたこともなく、ケガからの再起に意欲満々だったという。
小橋の周辺で引退という言葉がささやかれるようになった発端は、昨年2月19日に仙台で開催された東日本大震災復興支援チャリティープロレス「ALL TOGETHER~もう一回、ひとつになろうぜ~」の舞台だった。武藤敬司と組んで大森隆男、秋山準組と対戦した小橋は、試合中に左脛骨骨折、右膝内側側副靭帯損傷、右脛骨挫傷を発症。以後、長期欠場に入ったのだ。
あの夜、仙台からバスで直接家に帰ったのですが、家に着くなりぶっ倒れたんです。そのまま動けなくなり、翌日病院に行ったら、即入院。その時に他の悪いところも診てもらったら、「早急に首を手術する必要がある」と言われた。
その前から首が悪いことはわかっていたけど、医者には行っていなかったんです。4年前から、左腕、左足に力が入らなくなっていたから、行けばドクターストップがかかるだろうと思って‥‥。
今回も首を手術すると復帰が遅れるので、投薬治療だけしてもらったところ、それだけでも前のレベルよりはよくなった。これで復帰できるなと思って、退院後、ウエートトレーニングに励んでいたんです。
だが復帰に際して、あらためて首のMRIを撮ったところ、医師からは「復帰なんてとんでもない。即手術か、即引退だ」と断言されたのだ。
どっちにしても引退しろということですよね。
僕は引退する気もなかったし、手術もしたくなかった。でも、その先生は三沢(光晴)さんの首も診ていた方なんです。これは言ってもいいのか、その方から「三沢さんの状態よりも悪い」とはっきり言われました。
頭から落ちて首に衝撃が走ったのは1度や2度ではなくて、その積み重ねで神経が圧迫され、進行具合が三沢さんより悪いと。「このままやっていると、下半身が動かなくなる可能性もある。手術が、人間として生きるチャンス」とまで言われてしまい、手術に踏み切ったんです。
手術が行われたのは昨年7月の終わり。しかし、その時点でも、引退など考えていなかった。手術を成功させれば、フル参戦は無理だろうが、スポットなら可能だろうと、リングへの復帰を思い描いていたという。
骨盤から首に骨を移植し、骨盤にはセラミックを入れたんですが、退院して間もなく、骨盤が真っ二つに割れたんです。何か衝撃を受けたのではなく、自然に割れたという感じで‥‥。それで、まったく歩けなくなった。
そこからですよね、いろいろ考えだしたのは。骨盤がくっつき、復帰を目指したトレーニングを開始したのですが、体がついてきてくれない。これでは治っても、自分のプロレス、小橋建太のプロレスができなくなったなと感じた。リングに上がれば不安はないけど、上がるまでは不安のない状態にできないのではないかと‥‥。